ケイさんからの虫メール。ナナフシ。ビロードスズメの図鑑批判。

 虫を撮るのは現在ストップ。twitterのランに虫画像が流れているのを茫然と眺めているだけである。英語とラテン語とBHLのPDFの重さに死にかかっていると,神奈川のケイさんからメールが来ていた。落ちぶれ果てたわたしに虫の写真を送ってくれるほぼ人類最後の特殊な方である。どんなに感謝しても足りないような気がする。ときどきそう思う。
 心配されたブログ(「ケイの言ってみようか!」)は競馬廃止後も続いている。啓発本の読書ブログになったらしい。(もっと)有害な本を取り上げたりすると,彼の社会的な立場に抵触するのかもしれない。
 こちらにしても人のことをアレコレ言えたものではない。BHLとマンガと宗教本と埴谷雄高にしか頭が反応しない。
 
 というわけで,送ってもらった画像。

ナナフシは職場にいました。
寒いのか、動きが悪かったです。

 ナナフシって,普通の人(虫初心者)は知らないと思う。「ナナフシがわかる」のは将棋でいえば「原始棒銀」ぐらいのレベルである。十分に子供に自慢できる。もう一歩踏み込むと修羅の道なので勧めない。
 ※コメントにて。トゲナナフシとのことらしいです。ありがとうございました。
 
 もう1枚。

 ビロードスズメのイモムシ。いいイモムシだなあ。秋には投稿画像掲示板にこのイモムシの問い合わせが目立つようになる。
 これは残念ながら北海道には分布していないはず。
 久しぶりに図鑑批判をやろうか。「図鑑批判」とは図鑑を読み比べて,その記述の変化から虫に関する語り・まなざしの変化を読み取っていこうとするものである。自称「ちょっとだけフーコーっぽい営為」。
 以下,特殊な世界に突入します。すごーくヒマな人は一緒に読み比べてね。
 
 
 まず古い所から。
 1。 明治42(1909),警醒社書店『續日本千蟲圖解 巻之一』,p.12。(漢字はほとんどを新字体にしている。)

 (19)びろうどすゞめ
 学名 Rhagastis (Metopsillus) mongoliana Butl
 昆虫学上の地位 天蛾科
体翅黒褐,前翅ノ基部二近ク字形に屈折セル二横帯アレド餘リ判然セズ,中室ノ一点ハ黒色,其外方ノ一円ハ少シク黄褐ヲ帯ブ,中央ヨリ少シク外縁ニ接シタル処ニ點線ノ三横条アレドモ之レモ亦餘リ判然セズ,翅端ニハ黒褐の三角紋アリテ其内側ニ灰黄色ノ大紋ヲ装フ,尚内縁角ニ近ク白色ノ一縦線アリ,後翅ハ其中央ニ濃色ノニ横線ヲ具有スレドモ餘リ判然セズ,内縁角ハ灰黄色ノ大紋ヲ有スルモノ多シ,裏面ハ灰褐,前翅ノ中央,後翅基部ノ大半ハ黄褐ニシテ褐點ヲ散在ス,頭及ビ胸側ハ白色,後胸ニ黄毛ヲ有スル,腹面ハ少シク桃色ヲ帯ブ,体長(♂)(♀)八分乃至一寸一分,開張一寸七分乃至二寸二分,幼虫ハ葡萄ノ葉ヲ食ス,
分布 ー 本州,四国,九州,
【松村松年】

http://www.biodiversitylibrary.org/item/107801#page/22/mode/1up


http://www.biodiversitylibrary.org/item/107801#page/159/mode/1up
 きちんとした記載文。基本的に「判然としない」スズメガという認識であるらしい。食草を「ブドウ」としていることも農学的で面白い。
 
 2。 昭和25(1950)初版,北隆館『日本昆蟲圖鑑』,p.711。(新字体に修正)

 びろうどすずめ
 Rhagastis mongoliana Butler
 体長約30mm.開張約60mm.体翅褐色,暗緑色を帯びる.頚部及び胸部は白色に縁取られる。胸部の後方には褐橙色の部がある.前翅は所により茶褐色を帯び,外縁部灰褐色を呈し,時としてその内方に灰黄色の不定形斑を残す.黒色の横線数本,翅を横切るが,後縁に於いてのみ明瞭で,多くは唯脈上に黒點列を残すにすぎない.基部の後縁には近く白条がある.翅頂に黒色の部,横脈上に黒點がある.後翅は黒色,後角に近く褐橙色の1斑を残す.縁毛は黒と白との斑.裏面は赤褐色,黒點を散布し,前翅の基部灰黒色,外縁部灰紫色.その内方に灰黄斑がある.後翅は脈上にある黒點の列を有する.本州・四国・九州・中国・アムールに分布し,幼虫はツタ・ヤブカラシの葉を食う.
【河田黨】

 河田党は農学畑の研究者で病害虫には関心が深いはずなのだが,食草からブドウが外されている。何か理由があるのかもしれない。


 ここ以降から図版がカラーになる。
 カラー図鑑は,見れば姿がほとんど分かる。翅の模様の詳細な記述が不要になる。それだけ書き手には一工夫が必要になる。
 
 3。保育社『原色日本蛾類図鑑(下)』,p.243,昭和33(1958)初版。

2627. びろうどすずめ Rhagastis mongoliana mongoliana Butler
 開張45〜60mm.成虫は5〜8月に亙り2回出現し燈火に飛来する。幼虫はツタ・ヤブカラシ・ブドウ・ホウセンカ・ヘビノボラズ・オオマツヨイグサ・フクシャ・カワラマツバの葉を食し,胴部は淡褐色で鱗片状の模様がある。後胸部及び第1腹節は膨輶し,第1腹節背面には1対の褐色眼状紋を具え,また腹部背面には菱状斑を連ねているので,一見マムシの頭部を思わせる。尾角はやや長く下方に湾曲する。老熟すれば75mmに達し,地上で落葉を綴り粗繭を営み蛹化する。蛹態越冬。分布:本州・四国・九州;朝鮮・アムール・中華。別亜種を華南に産する。
【江崎悌三】

 昭和46(1971)の改訂新版では「亙り」が消去されているだけで後は同文。
 文のほとんどが幼虫の描写に費やされている。この図鑑における,江崎悌三の手になる説明文の特徴でもある。
 
 4。 北隆館『原色昆虫大圖鑑 第1巻』,p.91,昭和40(1965)初版。

 10. ビロウドスズメ
 Rhagastis mongoliana Butler
 触角の背面は暗褐色,基半は白色鱗と淡紅色鱗を混ずる。下唇鬚の第1・2節は暗褐色。前胸部の脛節・[足付]節の背面は灰褐色で脛節は淡紅色を帯び,[足付]節は白色に近い。中・後胸脚の脛節背面は灰褐色,[足付]は暗褐色。後胸脚の脛節の距は2対。前・後翅の紅橙色部には2条の黒褐色の波状紋があらわれることが多い。前翅基半は暗褐色で外縁の暗褐色部と翅の中央で連なる。前翅長:27〜29mm。分布:本州・四国・九州;朝鮮・アムール・中支。南支には別亜種を産する。成虫の出現時期は4〜8月。幼虫はブドウ・ツタ・ヤブカラシ・ヘビノボラズ・カワラマツバ・ホウセンカ・オオマツヨイグサなど各種の植物を食べる。
【白水隆】

 こちらは触角と脚の記述で勝負である。触角の色や鱗がこの種の同定のクリティカルポイントになるとは考えにくいので,とりあえず記載してみたということとおぼしい。翅の模様の説明は同定に関わる必要な要素が簡潔にまとめられている。
 「南支」「中支」という表現は,おそらく2007年の新訂版では書き換えられている可能性が高いが,未確認である。「あまり評判の芳しくない」新訂版を購入する余裕がとりあえずわたしにはない。
 ちなみに北隆館大図鑑は「前翅長」で記載されている。これは他の図鑑にない優れた要素である。前翅長なんて標本箱の中で恣意的に作られるものだと思っている。
 
 5。 講談社『日本産蛾類大図鑑 第1巻』,p.603,1982初版。

 Rhagastis mongoliana (Butler)  ビロードスズメ
 
 両側の下唇鬚が離れていて,口吻が見える.下唇鬚の形は Therelta とほぼ同じ.本種は和名のとおり,前翅が黒いが,個体によってはやや赤褐色をおびる.前翅亜外縁部に淡黄色斑がかなりよくでる個体と,前縁近くだけに出る個体がある.翅頂には三角形の小黒紋がある。本州(東北地方北部より),四国,九州,対馬屋久島,台湾,朝鮮,中国,シベリア南東部に分布する。幼虫はブドウ科アカバナ科の各種,カワラマツバ,ヘビノボラズなどにつく。
【井上寛】

 ようやく和名が「ビロウド」から「ビロード」になった。この変更の発案・変更の時期は,わたしはつかんでいない。
 隅をつつくなら,「和名のとおり」を普通に読めば「和名のとおり前翅が黒い」ということだと思う。ビロードであることと色は無関係である。「ビロード色」という色があると勘違いしていたなら外野は面白いのだが,そのあたりの消息は分からない。
 図版が原寸だからなのだろうか,サイズの記載がないのも特徴。
 
 6。 東海大学出版会『日本の鱗翅類』,p.791,2011。
 この本は「図鑑」というよりは,系統分類の観点に注目しての記述が売り。となるとスズメガみたいなメジャーな蛾の成虫の模様や触角のことなんて記載不要であると言えよう。
 とはいえ,同書の他の記述者は成虫の説明文も付している。「基本,成虫はサイズのみ」は書き手の見識でもあるのだろう。

571.ビロードスズメ
 Rhagastis mongoliana (Butler)
         (スズメガ科,ホウジャク亜科)
 成虫:開張約57mm.
 終齢幼虫:体長約70mm.A1はかなり太くなり,亜側面に目玉模様がある。この目玉模様の中央部は黒色,その外側は細い黒線.最も外側は幅広く黄色で囲まれており,まるでヘビの目のように見える.背面はハート形の暗色部が各腹節側面に7個連続している.尾角は湾曲し黒く,先端は白い.3齢までは体が白っぽいが2齢頃からA1の目玉模様の位置に斑紋がある.4齢以降は体色が濃く,背線も黒色で明瞭.
 生活史・習性:成虫は年2回5-6月と7月下旬-8月下旬に出現し,蛹越冬である.
 分布:本州(関東以西),四国,九州,屋久島,対馬;シベリア南東部;朝鮮半島;中国;台湾.
 寄生植物:オランダカイウ(カラー),サトイモサトイモ科);ヤブカラシ(ブドウ科).
【宮田彬】

 保育社図鑑に比べてより本格的な幼虫描写。終齢以外の模様に触れているあたりも工夫である。図版(p.1075)の幼虫写真は3枚とも終齢ではあるが。画像集めは大変なのである。
 中国と台湾の間が「;」になっているのが政治的には心配だが(おそらく大丈夫なのだろう)。
 
 7。 学研『日本産蛾類標準図鑑 1』,p.339,2011。
 さて,真打ち登場。『大図鑑』から30年。もう当分蛾の図鑑は出ないだろう。

ビロードスズメ
Rhagastis mongoliana (Butler, 1875)
 開張:50〜65mm.前翅は赤茶褐色で前翅頂には三角形の小黒紋がある.前翅外縁部には個体変異があり,淡黄色斑が出る個体とまったく出ない個体がある.後翅は暗茶褐色で後角には薄い黄褐色斑がある.
分布]本州,四国,九州,対馬屋久島.国外では,台湾,朝鮮半島〜モンゴル,中国北部〜南部に分布する.
生態]年2化,5月から9月に出現する.
寄主植物]ツタ,ブドウ,ヤブカラシ(以上ブドウ科),テンナンショウ,ムサシアブミ,カラスビシャク(以上サトイモ科),カワラマツバ(アカネ科),ホウセンカ(ツリフネソウ科),オオマツヨイグサ(アカネ科).
分類]本種のタイプ産地は中国とモンゴルの間.亜種区分はされていない.Rhagastis 属は velata Walker, 1866 をタイプ種として創設された属で,14種が既知.
【矢野高広・岸田泰則】

 年月と共に開張が大きくなっている。サンプルが増えて大きな個体が採集されるようになったとか,温暖化の影響だとではなく,展翅の問題だろうと憶測している。やっぱり前翅長です。
 タイプ産地は原記載では「中国とモンゴルの間の Nankow Pass」。ただ,google mapの検索は北京のすぐ北西を示す。地名が今とは違っているようだ。カットしたのは好判断だと思う。
 
 図鑑を読み比べると,しばしば後発の図鑑によって過去の知見の修正が行われるが,ビロードスズメについては記述内容に大きな変化は見られない。脚の色の記載まで試みられるのには,先行図鑑を反復する訳にはいかないとする事情があるのかもしれない。