島薗進『国家神道と日本人』

 整骨院に行って,それから札幌日帰り出張。会議。


 札幌は暑い。苫小牧慣れした体には暑い。苫小牧は25℃を越えないのである。
 書店で,「探査機はやぶさ」関係の本2冊,サンデル『これから「正義」の話をしよう』,島薗『国家神道と日本人』買い。

島薗進国家神道と日本人』,岩波新書,2010,pp.34〜35

 大日本帝国憲法天皇の宗教的権威を前提としたものであることは,条文の内容以上に,その発布形式に明瞭に示されていた。この憲法天皇が定めた欽定憲法であり,発布に際しては宮中で天照大神や歴代の天皇(皇祖皇宗)と神々を祀る神殿の前で奉告祭が行われた。全国の神社でも同様に奉告祭が行われた。また,「皇祖皇宗の神霊」に向けて「告文」が,また国民に向けては「勅語」が付されていた。
 (…)
(…)憲法本文には神道の信仰を促す言葉はあからさまには書き込まれてはいない。しかしこの「告文」は,憲法国家神道的な枠組の中で発布されるものであることを明瞭に示している。

 高校の政治経済の教科書や資料集には「大日本帝国憲法」の条文は必ず載っているのだが,この奉告の儀式や告文(検索すると「告文」の全文は沢山出てくる)についての記述は完全にカットされている。
 これらが「日本の伝統に根ざした素晴らしいものである」とか「憲法のあり方としてそもそもおかしい」などという評価はともあれ,明治憲法はこのような精神において制定されていることを事実としては当然知っておくべき,とわたしは単純に考える。
 でも言わなくていいことを喋ってしまう教員がきっと出てくるのだろうなあ*1


 夕方,駅前通に中型の蛾らしき影が舞っている。マイマイガの♂だろうかと考える。


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*1:個人的にはわたしは現行憲法第1章改正・廃止論者である。だがそんな考えを生徒に注入するつもりはもちろんない。