江副水城『蟲名源』。

 出張中の札幌で偶然手に取った本。敷島系ではおなじみの,例の,「キリギリス→コオロギ」について論じられているのを見て買った。

蟲名源 (Parade books)

蟲名源 (Parade books)

 
 この本を読み始めて舌を巻いた。昆虫の和名の語源を明らかにしようとするものだが,その方法論が(わたしは国語学には無知であるが,高い確率で)heterodoxである。
 こんな感じ。pp.3-4,強調引用者。

(…)日本語というのは,動植物に限らず,大和言葉と称されるものも含めて基本的にはそのようにしてできた言語と思われるからです。つまり,「日本語は漢字を素材として日本人自身がつくった言語である」ということです。
 更に説明を追加して極言するならば,「現在の日本語の中に,漢字が渡来する以前の大和言葉なるものはさほど存在せず,現在の日本語の殆んどは漢字を素材として日本人自身がつくった言語である」ということである。

 明治の翻訳では「哲学」とか「社会」のような造語が行われたが,同じことがそれ以前の時代にも行われていて,実は日本語語彙のほとんどが漢字の組み合わせから作られたものであるという主張である。
 そういう語彙もあるのだろうが,その一般化はわたしには疑問である。
 漢字の意味と発音に十分な知識を有していて,(本書に限定するなら)昆虫に関心が豊かな人物が多数必要。かつ,国語の中に定着するには,その命名意図を理解できる多くの人間と,その語彙が共有され流通する場があらねばならない。
 そんなことは常識的な感覚ではありそうもない。著者の主張が正当なら,学名が人口に膾炙してしかるべきだろう。だから,わざわざ和名(「カカトアルキ」とか)をつけたりしている。国語の主体となっているほとんどの日本人は,昔も今も漢字も羅典もろくに知らないに決まっていると,わたしは思っている。
 
 かくして,語源の解明は次のようになる。
 例えば,カイガラムシ。p.54。強調ママ。

 一音節読みで,愾はカイと読み「憎む,憎むべき」,尬はガと読み「処理困難な,始末に負えない,困った」,蝋はラと読み「蝋,蝋物質」の意味です,つまり,カイガラムシとは,愾尬蝋虫であり,直訳すると「憎むべき,始末に負えない,蝋物質の虫」の意味となり,これがこの虫名の語源と思われます。

 違うと思う。「貝殻虫」と解釈して問題がないと思う。
 「一音節読み」とは,一音ごとに任意の漢字のピースを当てていく作業であるようだ。こんなことが許されるなら,どんな解釈だって可能になる。
 というわけで,オサムシの項。p.47。

 さて,この虫の語源のことに移りますと,一音節読みで,娥はオ,臧はツァンと読み,共に「美しい」の意味があります。つまり,オサムシは,娥臧虫の多少の訛り読みであり「美しい虫」の意味になっており,これがこの虫名の語源です。

 この後,オサムシの食性について記述され,

 この虫の名称は,このように,食べられる虫なら,相手かまわず咬み付き食殺してしまう残忍な性格からきています。一音節読みで,噩はオと読み「恐ろしい」,残はツァンと読み「残酷な,残虐な,残忍な」の意味です。つまり,オサムシとは,噩残虫の多少の訛り読みであり,直訳すると「恐ろしい残忍な虫」の意味になっており,これもこの虫名の語源で掛詞になっています。掛詞をまとめると「美しい,おそろしい残忍な虫」になります。

 複数の解釈が可能な場合は「掛詞である」で処理してかまわないらしい。こういうのはよほどの根拠が示されない限り,恣意性の発露と見なされても仕方ないだろう。
 
 このように,相当に大変な本である。副題の「本邦空前の語源書」の名に恥じない*1。しかも通販のレヴューではこの著者の同様の本を積極的に評価する書き込みさえある。(((((((( ;゚Д゚)))))))) サクラ? 。
 
 買うきっかけになった,コオロギとキリギリスの変遷については,和歌が引用されていて論証のスタイルを取っているので読みやすい。とはいえ,その部分が多少の説得力を持っていたとしても,全体を覆う語源解読はとてもわたしには首肯できそうもない。
 
 わたしは学名の解釈をアマチュアの身分でやっている人間である。他山の石としたい。
 
 ※同著者の『魚名源』が,東京海洋大学附属図書館の展示リスト(PDFダウンロード)で「随筆・エッセイ」に分類されていた。他に分類しようがなかったのだろうと思う。
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*1:おそらく国語学「周辺」ではこのようなアイディアは幾度となく生み出されてきたに違いないが。