ナミシャク総ざらえ(2),シラフシロオビナミシャク.
ナミシャク企画の栄えある第2回は,シラフシロオビナミシャクである.
07年の6月17日だから,さすがの苫小牧も初夏である.昼間の緑ヶ丘公園の自然遊歩道.ヤブ蚊がひどい.視野を黒い鱗翅がよぎった.黒地の翅に白帯が走っている.
わたしの虫経験ではフタスジチョウに最も感じが近いが,サイズがずっと小さい.蛾に違いない.
カメラが嫌であるらしく,追いかけても追いかけても逃げていく.やっと1枚.やっぱり蛾.
これが限界.
とまっていた葉っぱを後から計測して1cm強の前翅長と推定した.
その日,他にも数頭確認したが,どれもこれも逃げていく.ヤブ蚊が嫌になって深追いを断念した.
帰宅後,シラフシロオビナミシャクの北海道亜種と同定.
図鑑読み比べ.色変わりによる強調は引用者による.
保育社『蛾類図鑑』.
触角は♂♀ともに絲状.♂の前翅裏面にある黒毛は前属(引用者註:シロオビクロナミシャクのTrichobaptria属)よりはるかに短く….…北海道に分布し,5〜6月及び7〜8月に多産する.昼飛性の蛾.
…
本州・四国・九州の亜種はやや大型で白帯が狭い.
(p.198)
北隆館『昆虫大図鑑1』.
前種との区別は前に書いた通りだが(引用者註:シラフシロオビナミシャクの前翅小室が1個なのに対して,シロオビクロナミシャクは2個ある),そのほかこの属では後翅の脉8は前種よりも長い距離の間中室に接触し,横脉は前種のように角張らない.…昼飛性で,5月と7〜8月に山地のうす暗い処に多い.…前種と同じように,北海道に分布している亜種 latifasciaria Prout は,型が小さく,白帯の幅が広い.
(p.188)
「触角・黒毛」,「翅脈」.ここには蛾に対するまなざしの差異がある.見かけ上の種の違いのどこに優位を置くべきなのか.
さて講談社『大図鑑』ではこうなる.
前属に近縁だが,前翅の小室は1個.♂の前翅裏面に毛束がなく,後翅前縁部は白くない.…(引用者註:亜種における白帯の幅の記述がここに入る)…,東北地方や中部山岳の個体では北海道産とほとんど区別できないような場合がある.前翅亜外縁部(時には後翅にも)に白点のあらわれるのは本種だけで,前種にはこのようなことはない.
(p.468)
折衷的な記述である.翅脈の記述がはずされていないのは,素人の推測だが属区別のポイントとなったからではないか.
また,赤字部分の「新しい知見」が目を引く.シラフシロオビナミシャクであるとの同定の決め手となった箇所であり,図鑑利用者としては嬉しい情報である.
しばしば同じ種ばかり標本箱を一杯にしてしまうような採集が批判の対象になることがあるが,上のような知見はおびただしい数の蛾の犠牲と,数多くの採集家間のネットワークの成果なのだろう.
捕まえて殺してみないと,しかもできるだけ沢山殺してみないと分かってこないことが確かにあると思う.もしも他惑星から飛来した知的生命体がヒトを研究しようとするとき,彼らは同じことをするに違いない.仕方ないことかもしれない.おそらく研究者である彼らにあっても真理は倫理以上のものだろう.
シラフシロオビナミシャク北海道亜種の学名は Trichodezia kindermanni latifasciaria .
やさしい方から,ということで亜種名から.「latus 幅広い」+「fascia 帯」+「接尾辞」.要するに「ヒロオビ」である.
種小名は人名の属格だろう.誰かに献じられたもの..キンダーマン? nがダブっているからドイツっぽい.
属名は前節は「tricho- 毛の,毛深い」.後節は「odezia」であって,この意味は調べきれなかった.ただし,この学名では後節は別の蛾の属名であって「毛深いOdezia属」の意味となっている.
Odezia属は日本には分布していない.ヨーロッパでは知られた蛾らしく,Odezia atrata という蛾が検索に沢山ヒットする.リンネの命名だから由緒もある.ちょうどシラフシロオビナミシャクから白帯を除去したような蛾である.おそらく,上に引用した図鑑の記述されている「毛」が Odezia の方にはないことから Trichodezia の命名がなされたのだろう.
Odezia atrata は日本にはいないが,和名がある.カドジロカラスシャクという.しかも日本の図鑑に載っている.
ここら辺の事情は「みんな蛾」管理人ニワカガマニアさんが巨大掲示板「2ch」に書き込んでいる.引用.
> 222
> カドジロカラスシャクってご存知ですか?
http://ukmoths.org.uk/show.php?bf=1870
であります。
ご指摘の通り、保育社の図鑑866、ならびに北隆館の図鑑123:12にも掲載
されています。
岩手県盛岡市にて1936年8月2日に採集されたものが専門家に渡され、
日本新記録、Odezia atrata 新称カドジロカラスシャクとして記載されました。
その後もこの1♀以外に日本から見つかりませんでしたが、
後日ラベルの付け間違いが判明。1967年東北昆虫研究3(1,2):12-13に
産地盛岡が取り消されたことが記載されています。
#同時にカラフトエダシャクも日本のファウナから消されました。
よって日本に産しません。
ナイスな質問であります。
(>>蛾類談話室 第2編<<)
たいしたことのないシャクガかと思って取り上げたら,話が広がって大変なことになってしまった….