『鳥の仏教』

 ますます怠惰になって,本は自然科学の啓蒙本か宗教研究本以外は読まなくなった.


 ユダヤ史研究者秦剛平の著作におけるキリスト教への悪態にへたばっていたところだったので,この薄い本の美しさが心にしみた.

『鳥の仏教』,中沢新一;新潮社,2008

 中沢新一による,チベット仏教偽経の翻訳と解説.
 観音菩薩の化身であるカッコウの教えを受けて,他の数多の鳥たちがそれぞれの体得した真理を発表するという内容である.
 カッコウはこう呼びかける.

カッコー!
この場にお集まりの鳥さんたち,心を静かに落ち着かせて聞いてください.
わたしの心の底からほとばしり出てくる三つの教えの言葉を,耳をすませてお聞きなさい.
世界は無情であることを,よくお考えなさい.
死はいつやってくるかわからないことを,よくお考えなさい.
心を汚すおこないから遠ざかることの大切さを,よくお考えなさい.
(p.24)

 仏教のエッセンスはこれに尽きているといっても過言ではないと思う.生の姿を認識すること,そして,その認識を踏まえて自己の生を改変していくこと.仏教は様々な儀礼や超越的なものの集合体でなく,真理に生をゆだねることでしかない.
 『般若心経』のような高度な知的神秘主義経典や,あるいは呪文でしかない名号題目ばかりが与えられてきた日本はずいぶんと不幸だったのではないか.『ダンマパタ(発句経)』にせよこの『鳥の仏教』にせよ(もちろん原始経典と大乗偽経の違いはあるが),どちらもより善い生に向けて自らを賭けることができるかどうかの決断を迫る,明晰な言葉たちである.日本仏教は,実践として難解すぎるか単純すぎるかで,結局,(乱暴な表現であるが)「なんでもあり」にならざるを得なかったとわたしには思われる.


 ところで,中沢新一オウム真理教の教義についてどう総括しているのか,わたしはまだ(不勉強なだけかもしれないが)まだ知らない.だから,まだわたしは著者を十分には信用していない.あとがき.

(この経典について)文字通りに訳せば「鳥のダルマの宝珠」となりますが,ここでは全編にみなぎる柔らかい生命的波動に合わせて『鳥のダルマのすばらしい花環』としました.
(p.125.強調引用者)

 どうしてこんなスピリチュアルなニューエイジまがいの表現が出てくるのだろう.やっぱりダメなのかもしれないとも思う.