好転反応と「日本の古典コピペ」について。

 虫本のレビューが難航しているので,少しばかり脱線。
  
 「好転反応」というコトバがあって,ホメオパシーやら民間療法やら,代替医療ではお馴染みの用語である。ある療法を行ったときに,いったん症状が悪化し,その後急速に治癒へ向かう現象をいう。「毒出し」みたいな説明がよくなされる。だから,たとえ悪化しても,その療法を信じて頑張らねばならないのである。
 その結果治ることもあるのかもしれないが,治らないことも結構あるようで,実際,死亡者が出ている。アピタル「問われる真偽 ホメオパシー療法」参照。
 わたしとしては「好転反応」は眉唾ものだと思っている。インチキ商売と親和性が高すぎることだけでも遠ざけるべきだろう。
 
 畑は哲学といっても,17〜18世紀の科学と宗教と妄想のハザマみたような領野が専門なので疑似科学ネタは大好きである。ちょっと気になって「好転反応」をググると,出てくる出てくる。漢方からホメから断食・サプリメント・ヒーリング・玄米食にいたるまで,人々は好転反応まみれである。みんな大変だなあ。
 サイトを見ているうちに気付いた。「コピペが氾濫している」。
 例えばグーグルで見つけたサプリメント会社のサイト。
 『好転反応』を正しく理解してください!

1 漢方でいう「好転反応
 
漢方の世界では、体の悪い個所が良くなる反応を
「めんけん現象」とか「好転反応」といい、良い漢方薬かどうかは、
この「好転反応」が出ることで判断されています。
 
日本の古典、・高慢斉行脚日記下巻に 
「もし、めんげんせずんば、その病いえず」 とあり、
薬の効き目は「めんげん現象」があって初めて確認でき、
これは病気が治る先駆けであることを著しています。

 この文章が色々なサイトにほぼそのまま載っている。「好転反応 日本の古典」で検索して欲しい。
 ジャンルがバラバラだから,これはコピペとしか思えない。引用でさえないから,オリジナルが分からない。これって全然ダメじゃん。
 
 それで,おかしい。「日本の古典、・高慢斉行脚日記」というのが直観的におかしい。これは漢方の話の権威付けの文脈だから,この古典というのは漢方医の著書でなければ無意味である。
 でも…,「高慢斉行脚日記」って医書なんだろうか? わたしの連想では,江戸時代の戯作のタイトルである。というわけで,早速検索。
 
 ああ,ダメだ。この「日本の古典」の作者は恋川春町だ。高校の日本史で習う黄表紙コトバンク「黄表紙 とは」参照)作者である。これって絶対,権威付けにならないよね。かえって笑い者になるんじゃなかろうか。レトリックにおける「好転反応」? まさかねえ。ちょっと調べれば分かることが,どうして次々(おそらく真面目に)コピられるんだろう。
 調べもしないでコピる代替医療側も,調べもしないで「権威」と勘違いして信じる側も,これはレベル低いよ。
 
 せっかくだから,原典にあたってみよう。この作品は『日本古典文学大系』に入っているから,学校の図書室で簡単に読むことができる。
 案の上である。「もし、めんげんせずんば、その病いえず」は,主人公(高慢斉)が弟子たちに取り憑いた天狗を追い出すため,四書五経を煎じた汁を飲ませる。弟子たちは激痛・嘔吐に苦しみ,天狗も逃げ出して大団円となるのだが,その時のセリフである(慣用句として,表記では「 」に入っている)。これはまともな医療でもなんでもない。『体系』の註では,「良薬は口に苦し」と同様の表現と解説される。その程度なのである。
 
 「好転反応」を信じるなら仕方ないのだけど,少なくとも「日本の古典コピペ」はやめた方がいいんじゃないかねえ。もっと自分で勉強すべき。「めんげん」(瞑眩)のとらえ方については,漢方内部でもいろいろ異なる立場があるようで,わたしの手にはあまる。
 でも,「漢方」だの「好転反応」だの主張したいなら,漢方の原典に当たるぐらいはしてなければならないだろうし,学説の歴史的経緯・位置付けを知っておく必要があるのではないのかね。