さあ,網を持って出かけよう。『昆虫図鑑 北海道の蝶と蛾』

 北海道新聞社は数年前『札幌の昆虫』・『探そう! ほっかいどうの虫』という,一見普通の虫好きを対象としているようで実は相当にマニアックな,素人にはとてもついていけない内容を含んだ「羊の皮を被った狼」な昆虫本を出版しているのだが,またやってくれた。
 (『探そう!ほっかいどうの虫』については以前に記事にしている
 今回の『昆虫図鑑 北海道の蝶と蛾』も,これは大変な本である。もはやどこの層がターゲットなのか,わたしには分からない。虫屋しか……?
 
 アマゾンではしばらく品切れが続いていて入手できなかった(現在は在庫あり)。さすがローカル。
 地元(エンガル)の書店で発見。ローカルだからね。エンガルはいちおーホカイドーの一部である。さっそく購入する。

北海道の蝶と蛾 (昆虫図鑑)

北海道の蝶と蛾 (昆虫図鑑)

 
 嗚呼,すぐに分かった。これは特殊な本である。
 
 蝶屋はおそらくこの本を使わなくても十分に何とかなる。どの昆虫図鑑を見ても「蝶」は詳しい。不自由しない。
 他方,たいていの蛾屋はこの本に手を伸ばす以前に,学研の『標準図鑑』を大枚はたいて買っているに違いない。
 
 結局,どーいう人間がこのハンドブックを買うかというと,わたしのように「北海道における蛾の分布の(最新)情報を確認したい」者しかありえない。そういう人間が多いとはもちろん思えない。
 この出版は新聞社にとっては「文化事業」の一種であるに違いない。
 
 構成からして意欲的である。鱗翅を「蝶(135種)」「マクロレピ(1503種)」「ミクロレピ(1575種)」に分けて,それぞれを対等にほぼ同量,100ページ弱をあてがっている。これは昆虫図鑑の常識をほぼ覆している*1(もっと極端に言えば常識が無いといえる@称賛)。
 
 中でも大変なのがミクロレピのページであって,<あれよあれよ>であって,このホソガやハマキガの標本写真を使いこなせる人は日本で一握りしかいないのではないか。あのチマチマした標本作りを始めにやって,さてそれからよっこらしょで図鑑と絵合わせである。それでも分からないだろうねえ。
 
 解説はすべて欄外に下註の形。
 蝶は詳しい。すべての種の記述がある。

0088.ミドリヒョウモン【期】7-9月。【生】北海道全域に分布し,道内では最も普通に見られるヒョウモン類の一つ。離島では利尻島礼文島,焼尻島,奥尻島松前小島南千島から記録がある。オオハナウドやヨツバヒヨドリなどの花に集まっているのをよく見かける。【食】タチツボスミレオオタチツボスミレ,ミヤマスミレ,アイヌタチツボスミレ,マルバスミレなど。(p.62)

 本気である。すべからく人々は捕虫網をもって離島に旅立たねばなるまい。「分布」に関するこだわりが,この本全体を貫くテーマである。
 
 「蛾」の方はもっと端的である。
 ウスチャヤガ(1630)とアオバヤガ(1636)の解説。蛾は太字なし。

【1630】1990年に苫小牧市沼ノ端で採集された2♂のみ。図示標本はそのうちの1個体
【1636】1960年代に函館市知内町の採集の記録があるが,標本は失われている
(p.210)

 こんな調子である。「探しに行け」という著者の声が聞こえるようではないか。さあ,網を持って出かけよう。
 
 分布調査に関心のある向きには必携の本である。amazonの内容説明にあるような

見て楽しく,使って役立つ実用図鑑の決定版。

http://www.amazon.co.jp/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%81%AE%E8%9D%B6%E3%81%A8%E8%9B%BE-%E6%98%86%E8%99%AB%E5%9B%B3%E9%91%91-%E5%A0%80-%E7%B9%81%E4%B9%85/dp/4894537761

かどうかは極めて怪しい。むしろコピー的には「北海道でワンランクの上の虫屋を目指すとき不可欠な鱗翅目集大成」の方が正しいかもしれない。ちょっと手に取ればシロート向けの本じゃないのはすぐに分かる。
 
 賛辞。
 この本の工夫は標本写真を「方眼」の上に配置したこと。1マスが5mmだという。展翅の具合でどうにでもなる開張にくらべて,この本だとデバイダーを当てれば前翅長が正確に分かる。これはわたしなどにはすばらしく便利である。メジャー写し込み付きの生態写真を撮る人はぜひ購入すべし。
 
 後日談。
 
 数日後,書店に行くと4冊が積まれていた。店員に「売れていますか」と聞くと,「ぼちぼちです」と言う。さらに「値段が高いですから」と言う。そうだろうねえ。
 
 どうせなら1万円を超える大型本にすれば良かったのにと思う。どうせ買う人は買うし,大型本の方が図書館で見栄えがよろしい。ハンドブック型にしたのは失敗じゃないのかな。
 

*1:名著『札幌の昆虫』の蛾のページがいかに弱いことか!