属名Nyssiodesの意味解釈。およびフチグロトゲエダシャクの和名「トゲ」に関する憶測。

 HP更新。「蛾の学名の意味−エダシャク亜科Nyssiodes属」。
http://yyzz2.sakura.ne.jp/name/Ennominae/Nyssiodes.html
 この属で日本に分布するのはあの人気のフチグロトゲエダシャクである。

http://www.biodiversitylibrary.org/item/39816#page/103/mode/1up
 
 さて,Nyssiodesの前節「Nyssi-」を「Nyssia(属)」と解釈することに関する補足から。
 オーベルチュールによるNyssiodes属の原記載文「Études d'entomologie : Faunes entomologiques ; descriptions d'insectes nouveaux ou peu connus」,1880,v.5,pp.44-45 には「Nyssia属」への言及はない。こんなのは19世紀をやっていればゼンセン慣れっこである。
 というわけで,「Nyssia属」。こちらはデュポンシェルの「Histoire naturelle des lépidoptères ou papillons de France」,1829,v.7,pt.2,pp.283-284,が原記載。そこでは4種をあげている。すなわち,

  1. N. hispidaria(現 Apocheima hispidaria)
  2. N. alpinaria(現 Lycia alpina,この属で日本分布はムクゲエダシャク)
  3. N. zonaria(現 Lycia属)
  4. N. pomonaria(現 Lycia属)

 図版。同書,pl.CLIV。
(拡大)
http://www.biodiversitylibrary.org/item/37758#page/343/mode/1up
 fig.6 あたりはフチグロトゲエダシャクによく似ている。
 要するに,Lycia属界隈で,♀が無翅のものをまとめたのが(旧)Nyssia属ということらしい。するとオーベルチュールの記述が腑に落ちる。

 私はこの種の♂しか知らない。Biston Alpinarius よりも大きく,[…]。
[…]雌について判明するまでは,この種のシャクガにおける最適の位置を確定することはできないだろう。

http://www.biodiversitylibrary.org/item/39816#page/50/mode/1up

 文中の蛾はおそらく「Nyssia alpinaria」。語尾が違うのは属名の性に合わせたものである。オーベルチュールは属としての「Nyssia」を正当には認めていないようだ。ただ,だからこの名称を知らない利用しない,ということにはならない。デュポンシェルが1829年,オーベルチュールが1880年,どちらもフランスで,知らないはずがない。知っていて採用していないだけとみなすべき。
 
 余談になるが,オーベルチュールは記載ではタイプとして「Nyssiodes Olgaria」を命名している。この種小名は現在シノニム。
 この蛾について文中で,これはロシアのErschoffが1872年に記載した「Biston Lefuaris」と同じではないかとスタウディンガーが指摘したことに対して,オーベルチュールはErschoffの記述は不十分で何だか分からない,図を付けなければダメだと(おそらく怒りを交えて)述べている。
 しかし,結局現在では,やっぱり同じ種。オーベルチュールの命名「Olgaria」はシノニムに回ることになってしまった。学問だから仕方ないのだが。
 こういうゴタゴタを目にするのは,文献読みの(趣味の悪い)楽しみの一つ。
 
 もう一つ。「星谷 仁のブログ」2015/3/13記事。和名の「トゲ」が気になって,あれこれ調べ中に参照させていただいたもの(感謝!)。

「トゲエダシャク」の名前の由来については<フユシャク図鑑>に《トゲエダシャクの「トゲ」とは幼虫の背の突起に由来するという》という記述があった。
ただ、フチグロトゲエダシャクの幼虫を検索してみたところトゲは確認できなかった。「トゲエダシャク」の名前がついているからといって、すべての種類にトゲがあるわけではないのかも知れない。別の例でいうと「ドクガ」の名のつく蛾で毒のない蛾もいる。分類上ドクガの仲間ということでそう名付けられただけで実際には毒を持たない種類がむしろ多かったりする。そういったことを考えると「トゲエダシャク」の名前がついていながらトゲがないシャクガがいても不思議はないだろう。実際にトゲがあるかないかではなく分類的な判断で「トゲエダシャク」の仲間と位置づけられた種類もあるだろう……素人なりにそんな解釈をしているのだが、ホントのところはわからない。

 確かに,大抵の「トゲエダシャク」の幼虫には尖ったイボ状の突起があるのだが,フチグロトゲエダシャクのそれはただのイモムシである。妙である。星谷氏のような疑問や考察をどうしてもっと虫好きの人々は表明しないのだろう。名前は大事だよ。人間は記号で世界をとらえる生き物なんだから。
 
 以下はわたしの憶測。わたしはもっと素人だし,根拠はない。
 
 和名「フチグロトゲエダシャク」の命名が誰によって行われたかは調べが付かなかった(松村松年の著作ではすでに Nyssiodes属のフチグロトゲである。それ以上はさかのぼれなかった)。
 「トゲ」の可能性として,学名「Nyssiodes」の誤解釈があるのではないかと思う。
 上記のように前節は「Nyssia属」からなのだが,「Nyssi-」の「i」にこだわらなければ,「nyssa(ギリシアの戦車競争におけるスタートのしるし」や「nyssô(刺すこと,針)」という読みもあり得る。だが,それならば造語では「Nyssodes」になりそうなものである。「Nyssia」なら当然「i」残しで-odesが付けられる*1
 ところが和名の命名者は「針」で解釈して「トゲエダシャク」にしたのではなかろうか。「針のようなもの」では意味不明なのだが,このぐらいの意味不明さは昔の学名では驚くに値しない。一応は考えられる解釈には違いない。
 
 まるきり憶測によるものではあるが,正誤を確定する資料はそう簡単には見つかるまい。それまでは「トゲエダシャクNyssiodes誤解釈説」を,yyzz2の説としてこのブログに記しておきたい。
 この記事をきっかけに誰かが古い資料を使って真理を示してくれれば幸いである。わたしはネットと図鑑と辞典しかないので,これが限界である。
 
 繰り返しておくが,正しいかどうかは分からないよ。「あり得るんじゃないの」という話(でも当人はその気である)。「Nyssia属」の方は自信があるけど。
 
 ※10月19日付記。この記事のうp後,クワトゲエダシャクを巻き込んでさらに面白い材料が出てきた。まとまり次第,リンクを貼って記事をあげる予定です。
 

*1:「Nyssia」について補足しておく。おそらくギリシア語「nysios(Nysa山の)」由来。ニューサ山というのは,ディオニュソス神が育てられたとされる伝説上の山。NysaはNyssaとも綴られるので,用例は確認できていないが「nyssios」も可能だと思う。オーベルチュールはフランス人なので発音的に「ss」綴りを好みそうだとわたしは憶測している。