第47会「みくに会」非公式レポート(3)。7月2日前半戦。

(1)(2)
 「みくに会」2日目。習慣とは恐ろしいもので,時計を見ると朝の5時ジャストである。見回すと相部屋の重鎮たちは,デカルト的にいえば「生物機械」,アリストテレス的にいえば「植物的霊魂」の状態である。彼らは何時まで飲み,かつ議論していたのだろうか。
 机上のパンもお菓子もそのままなので犯行は発覚していないようだ。
 
 朝の残り蛾廻りをしようと外へ。空は果てしなく曇天。空気が冷たく,頭はまだ眠い。昨夜のままのトラップが2基あった。
 いつも不思議なのは,夜間に明かりに集まっていた蛾たちがどのタイミングで逃走するかということ。ほとんどどこかに行ってしまっている。いつものヒゲナガカワトビケラがぼちぼち。ミスジシロエダシャク。カバナミシャク・カバスジナミシャク。小さめの蛾の方が取り残されている印象。あれほどいたトガリバたちは影も形もない。
 宿舎の壁にも貼り付いている。苫小牧や遠軽での定点観測の感覚をまだ体が覚えていて,壁の蛾の方に神経がより高ぶる。やっぱりトラップの不自然さにはまだ抵抗が少しあるんだな。シャチホコガとかハイイロシャチホコとか,分からない白い小さな蛾とか。
 
 朝食については記憶が曖昧。眠たかったらしい。生卵や海苔やゴマ和え。
 
 かなりの参加者は昼蛾やチョウやオサムシの探索に出かけるらしい。でも,わたしには予定が何もないし,同行させてもらうほど懇意でもない。
 窓を開け放った部屋で布団にもぐって Moffetの“Concerning Cattapillers”を読み始めるが,あまり面白い読み物ではない。やっぱり眠くなっていつの間にか意識を失ってしまっていた。途中,戻ってきた重鎮たちが窓を閉めて(寒かったらしい)いた記憶が少し残っている。
 11時頃に寝覚めると,重鎮たちはやはり寝ているのであった。テーブルの上のプラケース2つにおびただしいオサムシが寿司詰めなのは気のせいだろうか。Cattapillers を読むと寝てしまうことが分かったので,Raven の本を持って1Fロビーへ。
 
 近代昆虫学の前奏たるルネサンス期の自然学には2つの流れがあって,1つが「Pandect」すなわち諸文献の「総覧集」,もう1つが「Emblem book」すなわち挿絵付「寓話集」。ゲスナーやアルドロヴァンディが前者の代表。後者は日本ではあまりなじみがない。例えばこういうの。17世紀,ウィザー『古代と現代のエンブレム集』(George Wither, 1635,A collection of emblemes, ancient and moderne, p. 18)。

 18. 網と罠が仕掛けられている場所からは,急ぎ逃れよ。

 抜け目ない「クモ」が体から細い糸を出して,心をそそる「網」を織りなす。彼は法律家に似ていなくもない。法律家は「こそ泥」を捕らえ,「大泥棒」を逃す。同様に,クモの巣は小さな羽虫を捕まえるが,一方,体の大きい虫は罠を破るのである。このように,「貧乏人」はわずかな違法行為で処罰され,「金持ち」はずっと大きな罪状でも逃げ延びる。
 「クモ」というのはつぎのような人間の象徴でもある。取るに足らない物事に首を突っ込み,「利益」も「喜び」も得られないのに,経費も,時間も,労苦もいとわない。しかも,この「生き物」はほとんどの場合,くだらない(あるいは微罪の)でっち上げの理由でもって愚かな人々を出し抜けに捕らえる。そのほかにも,彼らの「鵜」のようなどん欲さには同情も共感もない。他人の貧しさにつけ込んで金儲けする手段を探し求め,そして「貧乏人」を完全に破滅させる。
 だから彼らを避けよう。たとえ,必要に強いられても。そうしなければ,「嵐」が襲ってくるとき,(あなたが蜂に苦しめられる時のように)その中に転落するに違いない。彼らの商売からすぐに飛び退こう。「落ち着き」があなたの行く手を自由にする。ましてや,浪費家伊達男を彼らから逃れるよう急がそう。さもないと,働かずに着飾ったこの蝶々たちが「夏の日」にひらひら飛び回っている,まさにその時,(財産を馬鹿げた見栄のために費やして)貧困という突風が蝶々たちを隠れ家へと押しやり,その場所で捕らえられることになるのである。

https://archive.org/stream/collectionofembl00withe#page/18/mode/1up

 自然の話では全くないのだが,これが17世紀以前の「自然誌」の状況の一つだと思っていただければ幸いである。もちろん「みくに会」とは完全に無関係な脱線である。
 
 11時半。お昼ご飯の準備ができたと従業員さんが言う。そばとかカレーとか。わたしはご飯ものの方が特だと考えているのでカレーである。ルーの粘度が高いカレーで,わたしのとなりに座った人が,結構腹に残るねと言う。
 
 食後,わたしも重鎮たちもまた部屋に戻って寝てしまう。どうも寝てばかりいる。古典的には「牛」になのだろうが,現代人なら「毒虫」に変身する。16時のSさんの講演まではどうせヒマなのである。
 
(4)へ続く。