第47会「みくに会」非公式レポート(2)。7月1日後半戦。

(1)

 やがてトガリバカギバが増え出す。キマダラ・(オオ)マエベニ多い。マエキ・エゾ・ウスオビ。
 ヤガではハンノケンモン,アカガネヨトウ。
 スレものはほとんどなく,どの蛾も鮮やかなピンの色合いをしている。アオリンガがいい色で,売れ筋の一つ。完品のコナフキエダシャクは本当に写真に収めたかった(駐車場に落ちていた死に蛾しか持っていない)。残念。
 久しぶりに「UK Moth」でも見てみようかな。コナフキエダシャクの英名は「Barred Umber」。無理に和訳すれば「アカチャヨコジマガ」といった相場である。和名よりも分かりやすい。というわけで「http://ukmoths.org.uk/species/plagodis-pulveraria/」の説明文を,その筋で有名なエキサイト翻訳にかけてみる。

閉鎖されたアンバーPlagodis pulveraria
(リンネ、1758)

 翼幅28-33mm。
 森林種、この蛾は、イギリス諸島の大きい部分の上で起こるけれども、どこでも共通ではない。
 1世代があり、おとなは5月と6月に飛び込む。
 幼虫は、各種の脱落性の木カバの木(マカンバ属)〈オーク(カシ)などの〉とサルヤナギ(ヤナギ)を食べる。

 生態については,どこかに飛び込むらしい。しかも脱落者はわたしばかりではなく,木にもそういうのがいるらしい。勉強になる。
 
 20時を回って少しばかり肌寒い。メンツが変わり始めた。
 ノメイガの類が姿を見せ始める。ヨツボシノメイガぐらいしか分からない。ヤマメイガが少ないのが残念(同定できないけど好きだったりする)の2。
 
 甲虫もトラップにやってくる。クロシデムシ? ヒラタ系しか知らないのでわたしには珍しい。シデムシをもっぱら捕獲する方もいて,どうしてこんなものを,と周囲から言われていた。臭いさえ気にしなければ,大きくて良さげな虫ではある。
 蛾LOVEさんは爪の先ほどのテントウムシを採集して喜んでいた。微甲虫にハマっているのだという
 多いのはアオジョウカイ。これは誰も採っていなかった。柔らかい系の甲虫はあまり人気がないのかもしれない。こいつが結構獰猛で,双翅を補食している個体もいた。
 踏みつぶされた小さなゴミムシからハリガネムシがのたうち出てきていて,これもカメラを持ってなくて残念の3。
 
 おびただしく悔いを残しながら,いったん宿舎に戻る。疲れたからである。一部の若手たちが収穫物の展翅に熱中している。他方,ベテラン勢は粋人ならぬ酔人たちの楽園在中@緘および本人開封無効である。ヒエロムニス=ボスの地獄絵に劣るとも優るまい。
 
 人々が体に蛾をくっつけたまま出入りするものだから,幹事部屋(=宴会場)の明かりには蛾が何頭も飛び交い,窓の内側にも数頭の蛾が貼り付いているのだが,気にする者は誰もいない。むしろ好ましく感じているようだ。明日清掃するであろう従業員に同情するのはわたしぐらいである。
 
 数名が口角泡を飛ばしている。種と亜種についてやり合っている模様。そうそう。こういうアカデミックな情報を期待してわたしは参加しているのである。
 一度「新種」として記載されてしまうと,それを覆すには記載の何倍もの労力が必要になるという話をしている。一人が某蛾の新種記載に疑問があって,亜種ではないかと言う。別の一人が,それとは違う某蛾についてあれは亜種ではなくて別種だと言う。つまりは「種とは何か,亜種とは何か」を裏テーマに,ひたすら錯綜している状態。
 わたしは「亜種」についてはムーアがらみで少し論文を読んだばかりで,「進化論以後においては亜種区分を積極的に用いるべき」という意見。とはいえ,標本を数見た人が「この個体とこの個体とは明らかに別種にしか見えない」というのだって傾聴に値すると思う。
 
 「種の区分を重視するか」それとも「亜種に落としていくか」は150年前からの議論で,突っ込んでいけば中世スコラ学の普遍論争にまでさかのぼりかねない。わたしのような外野にとっては面白いのだが,先端で分類をやっている人間は大変だろうなと思う。素朴実在論を克服しない限り,この手の対立は永遠に終わらないとわたしは思っている。だからわたしは当分ルネサンスから出ないつもりなのである。
 
 というわけで,またトラップへ。23時を過ぎて,ライトの熱から離れている蛾はもうほとんど動かなくなっている。気温がはっきり下がっている(後日調べると,気象庁のサイトで23時の上川は17℃だったから愛山渓ではもっと低いはず。14℃という情報があった)。
 シャチホコはタテスジ・ナカスジ。ヤガはハネモンリンガをメインに小型のアツバ。白くて小さくて分からないシャクガの類。キマダラヒカゲが突然現れる。
 ミスジシロエダシャク。最も美しい蛾の1つだと思うが,分類学的には興味に乏しいらしく,誰も採集していない。原記載は Oberthür, 1880, Études d'entomologie, vol. 5, p. 50。タイプの採集地は(ヤンコフスキーが強制労働させられていた)例のアスコルド島。極東の蛾である。

http://archive.org/stream/tudesdentomolo05ober#page/n112/mode/1up
 
 日付が変わりつつある。もう疲れたよ眠いよ。
 階段を上って部屋は(まだ下で飲み続けている)重鎮3人と相部屋。傍流蛾屋のわたしにとって,これは光栄だと思わねばなるまい。布団1人分のスペースが空けてもらってあった。さすが大人の振るまいである。布団を敷く。
 重鎮たちは前泊。テーブルの上にはカレーパンやソーセージパンや,お菓子も2袋。もう時効なので書いてしまうが,お菓子の袋を無断で破ってとりあえず半分ほど食べてしまう。
 
 さあ,寝なければ明日が持たない。重鎮たちはまだまだ飲み続けるに違いない。彼らはわたしのようなヘタレとは知力も体力もモノが違う。
 
(3)へ続く。