キリガの類.

 10代の終わり頃のわたしの精神に大きな影響を与えた表現者を3人あげるなら,形而上絵画のデ・キリコと「死霊」の埴谷雄高と「猟奇王」の川崎ゆきおである.30年が過ぎた今でも,時々はそれらに立ち戻らないと,わたしは確実に堕落していくし,現在は確実に堕ちた状態にある.
 川崎ゆきおの作品の登場人物たちがしばしば「こんな雨の日は会社行きたくないなあ」ともらす.今日はそんな感じ.朝から降ったり止んだり.札幌での詩誌の合評会はあっさりパスされた.どうせ,わたしは何も書いていない.


 朝からビールを飲む.寝たり起きたりを反復する.間歇的に雨音が強くなる.


 夜になって活動再開.
 雨はあがっている.道路は乾いている箇所と水の浮いている箇所がまだらになっている.出撃してみようか.14時間以上経過しているのでアルコールは問題ない.
 気温は6℃だが寒い.風があって体感温度は低い.これはきっと蛾はいないだろう.


 各所はことごとく不調.
 <アルテン温泉駐車場>でキリガの死骸.
キリガの類
 人間や大型の動物は,生きている状態と死んでいるそれとでは,見る者に与える感覚があからさまに異なる.生体と死体.命と物.ああ,これは生きてないな,と思う.
 昆虫はわたしにはよく分からない.壊れた機械のようになっていてはじめて,死んでいるのが分かる.
 以前.1日に数回しか電車の停まらない,あるいはもう電車の停まることのなくなった幾つもの無人駅を訪ねまわったことがある.それらは生きているのか死んでいるのか分からない空間だった.動かない虫には同じ匂いが感じられる.
 目前の死だけを待っている,暗がりの灯火の虫ばかりに関わっているからかもしれない.
 陽光のもとで,虫たちは実に生を謳歌しているのかもしれない.彼らを撮るとき,わたしは彼らを夜のように撮ろうと思うだろう.