虫は休み.本やフラッシュアニメのこと.

 昨夜は雨だった.なんで1月半ばの夜に雨が降るのやら.きっとカワゲラやクモガタガガンボが出てきているに違いないが,やっぱり休みが取れない.夢の中ではとっくに姿を見せている.


 土日の○ンター試○は,わたしの管轄分では事故なし.職場に缶詰になって電話番しながら別件の事務作業を1日中パソに向かって目薬がどんどん減っていく.


 一昨日の夜.白川静詩経』(中公文庫)を読みながら飲んでしまう.アルコールで脳が弱っているので泣ける泣ける.

ことばの呪能を託された歌は,すでに動かしがたい存在の意味を荷うものとして,客体化された.ことばは歌として形成されたとき,すでに呪能をもってみずから活動する存在となる.(p.29)

 かつて,ことばはコミュニケーションツールである以前にそれ自体の「何か」だった.かつて? 今だって同じなのではないのか.本当ならば.
 ぎりぎりの所までの密度を持った硬質のことばたちが,絶望や恐怖や祈りを内に折り込んでいく.それらは誰かが必ず語り出し,反復せねばならないものなのだろうと思う.


 活字が追えなくなるほど酔いが回って,すっかり具合が悪くなる.飲むことはもとから苦役に近い.依存症に近いのだろう.
 昔拾い集めたフラッシュアニメをばらばらと眺める.どのようなジャンルでも,小さな人々の「小さな表現」が好きである.絶対に一流に届かない小さな表現たち.そこにだって悲しみや喜びがある.
 以前,ネット碁の観戦記を2chに書き続けた時も,結局,級位者たちの碁が好きだったからだ.忘れられる小さな碁.それらこそが忘れられてはならないし,語られなければならないと思っていた.
 マスヲ「灯台守の夜」があった.短い美しい作品.でも,小さい.作者のHPはどこかに消えてしまっているはず.検索をかけると「泣ける映画と本のblog」に「「灯台守の夜」名作フラッシュが復活」として作品にリンクが貼られていた.小さな,だが忘れられるにはあまりに惜しい作品.