「JoJo」出撃記(前半),札幌逍遥編.

 ネットも何年も続くと,妙なところでリアルの知り合いが増える.「職場の同僚の友人の友人」が当ブログの読者で蛾屋で,札幌でお店(もちろん蛾を売っているのではない)をやっているという.ぜひ会いましょうという話が持ち上がって,3月14日決行となった.
 自力で目的地に行けるような甲斐性は全然ないので,「同僚の友人」が別件で行くのに便乗してというスタイルになった.次のような行程.

(1)苫小牧→札幌の琴似まで車に乗せてもらう.
(2)琴似で一旦離脱.自由行動へ.
(3)夕方にJR「稲積公園駅」で再び拾ってもらって目的のお店へ.
(4)夜8時ぐらいに解散.JRで帰苫.

 どうしてこんなつまらないことをくどくどと書くかというと,そういう性質のブログなのである.


 朝,出がけにバタバタして所持金を確認せずに家を出てしまった.財布をのぞくと「とりあえず何とかなる程度」レベル.この可処分所得の不足は,この後のわたしの行動に暗い影を落とすことになるが,珍しいことではない.

苫小牧−札幌

 雨が降っていて風が強い.要するに天気が悪い.
 Kさん(同僚の友人)は,いつもの菜っ葉服を着て茫然と待ち合わせのバスターミナルに立っているわたしを「その施設の労務関係者」と見なして何回もその前を通り過ぎたという.むべなるかな.
 大きなナビのついた車に乗り込む.ガソリン給油をめぐるあれこれ.スタンド業界の厳しさを思うと胸がつぶれる.「結果を出さないとダメ」という発言の卑しさのこと.だって,その「結果」なるものが「善く生きる」こととは無関係だから.「目標を設定して計画する」という効率的なやり方は「生き方それ自体を探求しながらとりあえず進んでいくしかない」という生の営みからは乖離しているから.
 Kさんはおそらくわたしとは,目指すものも生への姿勢も勝者と敗者の違いぐらいに全く違う.彼はおそらく来世を信じていないだろう.わたしが「あちら側」にどっぷり転落している時,彼は「あちら側」と「こちら側」とのぎりぎりのバランスの中でものを考えているように感じられた.もちろん彼の方が正しい(きっともう会うことがないだろうから,勝手なことを書いています.ごめんなさい><).

琴似駅

 10時少し前に琴似駅近くで下車.「近く」というのは,KさんはわたしがTUTAYAで時間を夕方までつぶせるよう配慮したものである.そういう要領のよさは禁欲的なわたしにはない.いきなり琴似駅へと歩き出していた.気遣いを無駄にすることではわたしは人後に落ちない.
 琴似駅前の広場的な区画には鳥がいる.

 ハト.立錐の余地がないほど区画一杯にギュウギュウ詰めならそれなり面白いのだが,全部で8羽ほど.誰かが餌づけているのだろうか.その他,やたらに鳴いているスズメが2〜3羽.小さなシジュウカラが1羽.
 駅にはペットボトルが置かれている.

 これが使用後に洗われずにリサイクルに回されたりすると,砂が厄介だろうなと思う. 駅に隣接して中規模の書店があった.もちろんわたしは吸い込まれていって,『シュメル神話の世界』(中公新書),『芭蕉の人情句』(角川選書)をたちまち買ってしまう. これで所持金がイエローゾーンに入った.「サンピアザ水族館」へ行きたいという計画は全然御破算.どこかの喫茶店で本を片手に優雅な「トースト・コーヒーセット」さえ厳しくなった.
 仕方ないのでさっさと「稲積公園駅」へ移動してしまおう.運賃は200円.かつてのホームレスの方々のように駅の待合い室で半日過ごすことに決めた.
 琴似駅ホーム.

 どこかの駅では人件費削減のために猫に駅長をやらせているとのことだが,猫にあれこれ指図されるのはさぞかし不愉快なことだろう.わたしなら暴れるかもしれないのみならず,駅を爆破することさえ考えかねない.

稲積公園駅から手稲駅へ


 周囲のたたずまいは無人駅でないのが不思議なほど.「近くに少し古めの住宅街のある駅裏」の匂い.様々な都市機能は手稲方面に任せているのだろう.
 写っているコンビニはさすがにキオスク由来で,内部は本棚にかなりのスペースをさいている.でも並んでいるのはことごとく漫画でしかない.
 11時.せっかくだから線路に沿ってどんどん歩いてみる.さびれた感じの風景が延々続く.雨は降っていないが,風が冷たい.どんどん何もかが嫌になってくる.
 ようやく繁華街めいた場所が,と思ったら手稲駅だった.

 やっぱりハトがいるが,もう撮らない.同じ顔をしている.
 近辺を散策.

 景気がよくない.この店は肉体を対象とするサービス業のようだった.パチンコ屋が少なく,学習塾がやたらに目立つ.公教育への不信.
 くたびれてきた.入ってみたい店は全くない.引き返そう.
 途中.

 この学校も,もしも猫が校長だったらさぞかし不愉快だろうと思う.日本はどうなってしまうのだろうか.猫が校長なぐらいだから,生徒の半数以上は犬猫で若干がハムスターだろう.発情期には大変なことになるから去勢が必要である.すると「生徒に断種するとは何事か」とか「優生主義の復活か」とかバイオエシックス的に大いに盛り上がったりするのだが,そんなことはわたしにはどうでもいい.
 学校前の電柱の根元.

 生徒の落とし物ではなさそうである.

 こんな「首なし」も落ちている.腕章をしている.
 この街の本質は「寸断された肉体」にあるらしい.もっと探せばもっと色々見つかるに違いないが,寒いし足がくたびれたし.「稲積公園駅」に着いたし.

稲積公園

 隣のコンビニでおにぎりと飲み物.400円弱.
 旅行のチラシ.

 夜にカメラを持って抜け出して灯りに来る蛾を撮り放題でしかも不審がられないのなら,泊まってやってもいいと思う.
 0時から6時まで駅の待合いで,メモを取っていたり,『シュメル神話』を読み切ったり,『芭蕉の人情句』を読んでくたびれたり.
 もっと時間の上手い使い方があるような気がして,自分は他の人に比べて人生を半分しか生きていないようなことも思ったりするのだが,キャパシティが小さいのだから仕方ないのだろうとも思う.


 ※この項,続く.