出張,札幌へ(2)。研修1日目。

 ホテルで朝食。洋食バイキング。パンが数種類,スクランブルエッグ,ソーセージ,ベーコン,野菜のクリーム煮,何だかよく分からないけど邪悪な印象を与えるもの,端的なコンソメスープ,数種のドリンクの類,生のレタス,その他小食物あれこれ。
 生野菜以外には食指が動かない。朝っぱらからパンを食べる趣味はわたしにはない。明日もきっと同じメニューなのだろうと考える。これだったらはじめから朝食を頼まないで,コンビニで弁当を購入する方がマシだったと思ったが仕方ない。


 午前中は空き。途中の大型書店へ。
 商売絡みの医療倫理関係本を1万2千円。経費では落とせないような気がする。
 鞄が重力の魔のように重くなる。他の本は断念。縁がなかったのである。


 会場には同業者が数百人。嘔吐感に襲われる。安定剤を飲み足す。
 講演は福岡伸一氏。かつて読んだ著作の後書きでは,子供の頃の原体験のようなものが語られていて,それはその書き手が信用に値するかの基準となる。
 動的平衡の話。

(生物の構成諸要素は)要素間の関係の中で位置と役割が決定される。この関係性は生物を含む環境全体に広げて考えることができる。

 わたしの理解する限りでの現代の言語観に平行している。今は「実体」ではなく「関係性」のパラダイムの時代なのだろう。ユダヤキリスト教的神はいずこに。

科学は役に立たない。「知りたい」のみによって研究は進められる。

 哲学屋にとっては単純に感動的な言明ではあるのだけれども,それでも,「営為」には責任が伴うはず。「結局は権力に利用されてしまう知識」,「知らなくともよい知識」があると思う。
 科学研究は孤独な思索ではない。


 恐ろしくまずい外食。会計の時「お味はどうでしたか」と恐るべき問を投げかけられる。つまらないことをバイトに言わせるものだ。店長の罪は深い。
 「そうですね」と意味不明な返答をする。心の中では「水が最も美味しかった」と考えていた。他の人々はどう答えるのだろう。


 ホテルへ直帰。
 夜,田川建三『マタイ福音書によせて―宗教とは何か〈下〉』読み返し。