Actias属の話の続き。Actias gnoma について(2)。

 結局自分はフィールドに新たな出会いや新たな知識を追いかけるよりも,こうやって後衛で図鑑や文献コピーや辞典に埋もれている方が自分らしいのかもしれない。


承前


 オナガミズアオ(A.gnoma)の命名者である英のButlerが“Tropeae dulcinea”について記載している文章(『The annals and magazine of natural history,Vol.20,ser.4』内,Butler「Mr.A.Butler on new Species of Heterocera from Japan」,pp.14-15)の続き。
 いきなり話題が変わる。もう,T.dulcinea のところには帰ってこない。
 改行は引用者による。原文における改行は1行アケとする。

 かつてMaassen氏によって公刊された,スズメガ科(!)に関する論文で,わたしの T.gnoma 種について,翅の褐色の脈は擦れによるものであって,T.artemis 以外のものではないと主張されている。Maassen氏のような信頼すべき専門家に反駁するのは遺憾とするところであるが,彼はわたしの種のタイプ標本を一度も調べていない。
 実際のところ,わたしの標本の翅脈が擦れているのは事実である。しかしわたしは,黄色がかった明らかに薄茶の翅脈を持った雌個体を見つけている。その色彩は擦れによるものではない。

 “!”はButler先生によるもの。せっかくの自分の蛾をスズメガのついでに切り棄てられてはかなわないというところ。「だって擦れてるでしょう」はそれにしてもキツイ。
 もう闘うしかない。Maassen師だって叩けば埃くらい出るに違いない。

 また第2点として,わたしは翅脈の色という一特徴を「特別に」強調する意識はないのであって,その意図は全くなかった。
 なぜなら,翅の形態の方がT.gnoma と T.Artemis の区別にはずっと重要だからである。後翅の長く幅の狭い尾,これはT.gnoma の両性に共通であって,一見して T.artemis と区別するのに十分である。

 なるほど「オナガミズアオ」の由来である。だが少なくとも日本では,「一見して」分かる代物ではない。

 だが更に,Maassen氏は,これら構造的な差異でさえ当てにならないと言う。その主張の根拠として彼の持つ Tropeae luna の個体差を詳述している。
 比較するのは結構だが,それらはTropeae luna の標本である。比較するのは結構だが,T.luna のように非常にしばしば閉じ込めて飼育した(脚注)一つの種の標本を,野生の純粋な形態の種と比べるのは必然的に不公正である。飼育されている動物が,その変異性を大きく増大させる傾向を持つのはよく知られているところなのである。


(脚注)Maassen氏は,彼のすべての標本が飼育ものであるとほのめかしている。彼の言うには「飼育は,一頭の雌の産んだ卵からその蛾の多様な変異個体が発生することを教えてくれる」。

 飼育個体で標本を作っているんだね。相手の擦れを批判する資格あり。考えようによっては嫌みである。新種を求めて網を振るタイプにとっては敵。
 飼育個体でどういう変異が生じるかは,わたしには分からない。サイズや色合いの違うのは出てきてもおかしくないように思う。


 この後,Maassenの同定そのものに噛みつくのだが,それは次回に。


この項続く