手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その17)

(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)

 ずいぶんのご無沙汰でした。だって心身ボロボロだし,仕事は泣きそうなほどだし。
 資料読みは少しずつ続けてました。そろそろムーアは完了できるからね。
 
 というわけで,協力者リストを終わらせる。
 
30:チャールズ・スウィンホー大佐(Colonel C. Swinhoe)
 → 1838〜1923。ナチュラリスト,鱗翅学者。インド英国軍所属。ボンベイ自然誌学会創設者の一人,高名なナチュラリストであるロバート・スウィンホーの弟。1907年のムーアの死後,『Lepidoptera Indica』の7〜10巻を編集して蝶の部分の記述を完成させた(1905〜1913)。これらの巻については後述。(参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Swinhoe

ボンベイ・ムホウ(Mhou)・カラチ(Karachi)などから非常に沢山の標本。多くのタイプを含む。また最近,彼のコレクション全部を調査する機会を得た。

 
31:ジョン・ウィリアム・ヤーベリー少佐(Major J. W. Yerbury)
 → 1847-1927。トリンコマリー(Trinquemalay,スリランカの港町)で主に双翅目を採集し,ロンドンへ送った。またアデン(Aden,現イエメン)で爬虫類と両生類の採集を行う。(参照:http://www.wikiwand.com/fr/John_William_Yerburyhttps://books.google.co.jp/books?id=d0XSwMJLDg4C&pg=PA1005&lpg=PA1005&dq=John+William+Yerbury+%281847-1927%29&source=bl&ots=fM1sv5c9kg&sig=gybT5oNuxc47tzR9Ayk9YR_3xk4&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjEm9L_2orKAhUj26YKHXmhA6AQ6AEIKTAC#v=onepage&q=John%20William%20Yerbury%20%281847-1927%29&f=false

インド最北西部のカンプベルプール(現パキスタンのAttok)および他の管区から様々な標本。

 
32:ライオネル・ドゥ・ニケヴィル(L. de Nicéville)
 → 1852〜1901。1870に文官として渡印。1881以後はもっぱら鱗翅目の研究を行い,カルカッタインド博物館の館長となる。著作に『The Butterflies of India, Burmah and Ceylon』3巻がある。マラリアにより客死。(参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Lionel_de_Nic%C3%A9ville

タイプとなる種の標本を,たびたび受け取った。

 
33:ヘンリー・ジョン・エルウィス(Henry John Elwes)
 → 1846〜1922。軍退役後,アマチュアの植物・昆虫学者,収集家。各地へ採集旅行に出る。インドには1880年に行っている。ユリ属のモノグラフが重要な著作である。(https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_John_Elwes

様々なシッキムの蝶。代表的な種との交換。

 
34:ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド閣下(honorable Lionel Walter Rothschild)
 → 1868〜1937。第2代ロスチャイルド男爵。政治家,動物学者。ウォルター・ロスチャイルド動物学博物館を設立。莫大な動物の標本収集で知られる。彼の創設したトリングパークの博物館は現在は大英博物館の分館となっている。(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89_%28%E7%AC%AC2%E4%BB%A3%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E7%94%B7%E7%88%B5%29 および https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%AD%A6%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8

1888年ブータンのバックサ(Buxa,現インド)での一大コレクションを研究する機会を得た。

 
35:ジョージ・フランシス・ハンプソン卿(Sir George Francis Hampson)
 → 1860〜1936。准男爵。ニルジリの茶農園主となり,鱗翅目に関心を持つようになる。帰英後,自然史博物館のボランティアを通じ,1895に助手となる。著作に『The Lepidoptera of the Nilgiri District (1891)』など。他,博物館のカタログ多数。(https://en.wikipedia.org/wiki/George_Hampson

ニルジリの標本多数。

 
 以上がムーアのこの本の協力者。まとめておこう。分類はだいたいである。

分類 人数 比率
文官 8名 23%
武官(技官・軍医含む) 9名 26%
教育者・聖職者 2名 6%
大学・博物館関係者 5名 14%
商人・資産家 3名 9%
その他・不明 8名 23%

 武官・軍人といっても常に殺伐としていたわけではなく,反乱でも起こらない限りは,現地傭兵管理に関わるだけだったり,よく分からない地方に派遣されたりといったケースが多かったものらしい。採用試験も文官のそれよりも易しめで,エリート上位(社会的階層も必要なんだ)にまでは到達できなかったが,十分に優秀な人材が軍人に回ったと考えてよい。
 
この項つづく。