Moore

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(追記・メモ2/2)

本編(1)・追記(1) 『インドの鱗翅目 Lepidoptera Indica』第7巻,p.119の註は,前回書いたように,スウィンホーによる引き継ぎの挨拶である。 ムーアの業績賛美や人柄の回顧については本項ではカット。わたしにとっては優先順位が高くない。思想と人…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(追記・メモ1/2)

本編(1) すじ肉を煮込んだり,コンピュータ将棋をネットで見ていたりして原稿書きができなかった。 いろいろなことは明日。 ムーア『Lepidoptera Indica』の補足。 やっと見つけた。『Lepidoptera Indica』は第6巻まででムーアが死に,第7巻から はChar…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その20/20)

(1) ・・・ (19) ムーアについては,かつて記したように,日本ではほとんど知られていない。19世紀の博物学に関する翻訳書が幾冊も出ているが,そこにムーアの名前が現れることはない。この事情は海外でも同じらしく,彼のことに触れている本がさっ…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その19)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8)・(9)・(10)・(11)・(12)・(13)・(14)・(15)・(16)・(17)・(18) というわけで,「Lepidoptera Indica」の記載リストの貼り直し。こんなに「L_I」に…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その18)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8)・(9)・(10)・(11)・(12)・(13)・(14)・(15)・(16)・(17) 『Lepidopera Indica』はムーアの死によって中断された本である。ムーアが6巻まで。7〜10…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その17)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8)・(9)・(10)・(11)・(12)・(13)・(14)・(15)・(16) ずいぶんのご無沙汰でした。だって心身ボロボロだし,仕事は泣きそうなほどだし。 資料読みは少しずつ続…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その16)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8)・(9)・(10)・(11)・(12)・(13)・(14)・(15) 27.F.A.de Roëpstorff夫人(Mrs. Frederick Adolph de Roëpstorff) →デンマーク人なので名前の発音が分から…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その15)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8)・(9)・(10)・(11)・(12)・(13)・(14) 25.J.ウッド-メイソン博士,カルカッタインド博物館副館長(Dr. James Wood-Mason) →1846-1893。James Wood-Mason - Wiki…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その14)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8)・(9)・(10)・(11)・(12)・(13) さてプロが続く。 24.J.アンダーソン博士,カルカッタインド博物館長(Dr. John Anderson) →1833-1900。珍しくWikipediaの日本語記…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その13)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8)・(9)・(10)・(11)・(12) 20.J.ショート博士(Dr. J. Shortt) →おそらく,『南インドの林業 Forestry in southern India』1884,の編者である John Shortt(1839〜1903)…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その12)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8)・(9)・(10)・(11) 15.H.H.G.ゴッドウィン-オースティン少佐(Lt.-Col. Henry Haversham Godwin-Austen) →「Henry Haversham Godwin-Austen - Wikipedia」によれば,183…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その11)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8)・(9)・(10) 見やすくするために様式を少し変更した。ただし「引用囲い」中の文は『インドの鱗翅目』からの正確な訳文ではなく,任意の要約の場合がある。 11.F.デイ博士(Dr. F…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その10)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8)・(9) (承前) 7.T.ハットン大尉(Capt. Thomas Hatton) →1806〜1875。『ほ乳類の名祖事典(The Eponym Dictionary of Mammals)」,p.202,によれば,第一次アフガン戦争(1839)…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その9)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7)・(8) 『Lepidoptera Indica』の序文の,協力者リストの続き。 4。 W.S.アトキンソン(William Stephen Atkinson) →William Stephen Atkinson - Wikipedia 1820-1876。ラ・マルティニエール…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その8)

(1)・(2)・(3)・(4)・(5)・(6)・(7) 『Lepidoptera Indica』の続き。体力がないくせにしつこいのでなかなか終わらない。昨日も「インド帝国の官僚組織」を調べたくて*1amaを4冊分ポチポチしてしまった。それらが届いて,読み終わる…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その7)

(その1)・(その2)・(その3)・(その4)・(その5)・(その6) 『The Lepidoptera of Ceylon』の続き。今回は図版の話。 どれでもいいよね。第2巻のPlate.88。 (拡大はここをクリックして(+)で) Pergesa Actues。この蛾は日本でも沖縄界隈…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その6)

(その1)・(その2)・(その3)・(その4)・(その5) ムーア『The Lepidoptera of Ceylon(セイロンの鱗翅目)』の紹介ということで,「序文」をたらたらと読んでいる途中。 前回は図版の由来の話。今回は出版にいたるまで。 画像は次回になるので…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア(その5)。

(その1)・(その2)・(その3)・(その4) 遅々としてムーアである。どうなってしまうのだろう。 さてムーアの代表的著作は, 『A catalogue of the lepidopterous insects in the museum of the Hon. East-India company(東インド会社殿の博物館の…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア(その4)。

(その1)。 (その2)。 (その3) だらだら続いております。まずは前回までの年譜的おさらい。ブログというのは積み上がっていくスタイルなので続き物には向いていないのである。 1848 東インド会社博物館に助手として勤務をはじめる。 1854〜 『東イン…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア(その3)。

(その1)。 (その2)。 というわけでねえ。諸般の事情でもって,ムーアをゆっくりやろうと思う。 1858年まで来ていたっけ。幾つかの雑誌の記載論文は省略。 さてと。 ムーアの働いていた東インド株式会社博物館は,イギリス本国の植民地支配強化のあおり…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア(その2)。

(承前)手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア(その1)。 「その1」をうpした後で,BHL(Biodiversity Heritage Library)のサイトをまた開いて,学会誌へのムーアの報文をぱらぱらと眺め直す。 毎年毎年,色気のない記載文が続いている。マニ…

手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア(その1)。

どうせなら人と違っていた方がおもしろい。 蛾像ブログも10年前から見ればずいぶんと市民権を得てきたようだ。もっと周辺的な領野に後ずさる頃合いかもしれない。 すでにリンネ分類やら学名やらに手を出していて十分にマイナーなのだが,ますます猟奇的な…