手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(追記・メモ2/2)

 本編(1)追記(1)
 
 『インドの鱗翅目 Lepidoptera Indica』第7巻,p.119の註は,前回書いたように,スウィンホーによる引き継ぎの挨拶である。
 ムーアの業績賛美や人柄の回顧については本項ではカット。わたしにとっては優先順位が高くない。思想と人間とは別。
 
 註の最後。段落が変わって命名法の話になる。(わたしの英語力ではかなり厳しい文章。間違っていたらご指摘をおねがいします)。

 わたしは,もちろんムーア博士の方針の下,この著作を続けねばならない。そうしなくてよいなら,ロスチャイルド,ハータート,ヨルダン諸氏が用いている,あの優れた三名式体系を取りいれるべきだと思う。

 ロスチャイルドについては16-03-15記事参照。Hartert,Jordan はロスチャイルド博物館の学芸員。両名ともドイツ人でハータートが鳥屋,ヨルダンが虫屋であって,ともにイギリスへの三名式導入のパイオニア
 確認しておこうか。「三名式」というのは学名用語で,リンネの「二名式」(属名 genus + 種小名 species)に亜種 subspecies の下位区分をもうけて,「属名 + 種小名 + 亜種名」3語で表すもの。現行の命名規約ではこちらが使われている。
 「亜種」をどうとらえるかは相当のごたごたや試行錯誤が会った模様で(今でも?),Stresemann, 1936, The Formenkreis-Theory, Auk. 53 (2), pp.150-158 の前半部には,亜種の概念が必要とされた経緯や,1844年に鳥類学者のシュレーゲルが「subspecies」の語を初めて用いて以後の受容史がまとめられている。これが面白い。分類という営為が経験科学でありながらも,それでも同時に「世界のとらえ方」に依拠することが見えてくるのだが,そちらは後日。
 「二名式」のムーアと異なり,スウィンホーは「三名式」を支持する。

名前を重ねることについてはたわ言が沢山書かれてきたのだが,ともあれ,これこれが一つの種であったりそうでないかに関して,三名式体系は,1つの名称が1つの昆虫に与えられるのだから,その昆虫が区別された種を代表していることを意味しない,とコレクターに示すには必要なものである。

 訳が下手くそで申し訳ない。つまり補えばこういうこと。
 ムーアは「二名式」を用いている。従って,ムーアの記載は,例えば,「Null point という種について述べて,次に「allied(類似の,同類の)」な地域型の種 topomorphic species としての N. hoge について説明する」というスタイルをとる。
 するとこの場合,「N. hoge」は「N. point」の地域的な変異(どちらがオリジナルかは問わない)であって,身分としては同種となりそうなものだが,少なくとも形式的には別種となってしまう。
 三名式なら「N. point point」と「N. point hoge」となって種としては同種で,しかも後者が種の代表ではない(もっと言えば,新種ではない)のが一目瞭然だということである。
 ムーアは別種で仕方ないと考えていただろう。外観が異なるのだから。同時にそれは,新種であることを喜ぶ採集者の心情にもかなうものだったに違いない。

変異型,地域・季節型の研究は進化論のまさしく本質である。従って,便宜上,それが便宜のためだけであっても,型ごとに1つの名前が必要である。わたしは三名式体系を用いることができないので,最初にタイプ種をあげて,次に同類の型(allied form)を続けるよう努力したい。

 旧世代の権威の立場に立つムーアと違って,スウィンホーは一応は進化論以後の立場にある。
 一つの著作としての統一性を保つために,スウィンホーは周回遅れと分かっていた方法論を強いられたようだ。『インドの鱗翅目』が結局は蛾の記載に至らなかったのは,それに要するであろう莫大な労力と費用の問題ばかりではなく,学問的な葛藤の帰結でもあったのかもしれない。