手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その16)

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27.F.A.de Roëpstorff夫人(Mrs. Frederick Adolph de Roëpstorff)
 →デンマーク人なので名前の発音が分からない。おそらく収集物は物故した夫のもの。夫であるRoëpstorffはデンマーク出身,1842-1883。高等文官としてインドの土地林野局勤務。1875年からアンダマン・ニコバル諸島に配属され,その地域の監督となる。先住民の言語・習俗の研究と,チョウや鳥の収集を行う。1883年,インド人傭兵の恨みを買って射殺される。

1884年アンダマン・ニコバル諸島で集められた標本。

 ※参照:Google book からの検索。The Eponym Dictionary of Birds,および,In the Andamans and Nicobars
 
28.A.リンゼイ(Alfred Lindsay)
 →1853-1901。インド南部のクーノア(Coonoor)で暮らす。「Armigerous Descents」(大郷士。騎士の下にくるジェントルマン階級)であるから,そこそこの名家である。おそらくインド高等公務員に違いないが,文官か武官か分からない。

1882年,ニルギリス(Nilgiris)から標本。

 ※参照:Genealogy of Alfred Lindsay b. 7 Apr 1853 d. 2 Apr 1901 Cheltenham ID:I27521: Armigerous Descents。このような家系図がイギリスのサイトには多い。さすがである。
 
29.G.A.J.ロスニー(George Alexander James Rothney)
 →1849-1922。ロンドン昆虫学学会会員。研究者として一生を送ったらしい。1872年から渡印。膜翅目,とりわけアリの収集を行う。

1882,83,84年にカルカッタ近くのバラックポール(Barrackpur)で収集した標本。

 ※参照:obituary, 1922, Entomol. mon. Mag., v.58, pp. 113-114 。ネットの情報は少ないのだが,ハチアリ業界では重要人物らしい。名前がやたらに献じられていて「rothneyi」で検索すると沢山の膜翅目がヒットする。
 
(続く)