手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その8)

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 『Lepidoptera Indica』の続き。体力がないくせにしつこいのでなかなか終わらない。昨日も「インド帝国の官僚組織」を調べたくて*1amaを4冊分ポチポチしてしまった。それらが届いて,読み終わるまでおそらく先に進めない。
 本調べはフィールドよりも金がかかるようだ。文献調べなんてやらないで,レンズ込みでカメラ一式新調した方が安上がりのような気がしてきた。でも,かつての夜討ちに戻るのは身心がキツい。行けるところまでは行ってみよう。
 
 というわけで,「序文」。

 この著作は,インドの鱗翅目相を記載し図版に表すものである。数年間の準備期間を経ている。今こそ私の手元にある材料を,出版および将来に役立てるため体系的な形式へと整理せねばならない。
 『インドの鱗翅目』に含まれる地理的領域は,北はヒマラヤ山脈,北西はスレイマン山脈・ハラ山脈,南はセイロン島,東はビルマを境とするインド地方,およびアンダマン諸島・ニコバール諸島を含む予定である。

 地図におこすと大体こんな感じ。

 
 これに続いて,インド博物館や,そこの標本が大英博物館へ移されたことなどが記述され,著述にあたって多くの協力者があったことが述べられる。
 以下は,協力者リストをあげていってみよう。その作業を通じて,18世紀後半イギリス社会の鱗翅への関心を間接的にうかがうことができると思う。
 (フィールド系の人にとってはとんでもなくつまらないだろうねえ。所詮インドだし。わたしにはそこそこ面白いのだけど)
 
 「→」の段落はネット等からの説明。「・」の段落は「序文」から。
 
 (1)アーサー・グロート(Arthur Grote)
 →Arthur Grote - Wikipedia 1814〜1886。インド高等文官。税務局(Board of Revenue)局長。インド王立農業学会およびベンガルアジア学会会長。ロンドンリンネ協会および王立アジア学会会員。
 ・『東インド会社博物館の鱗翅昆虫目録』(1875-59)に寄与。
 ・カルカッタ(現コルカタ)近郊のアリプール(Allipur)で鱗翅目の変態の観察と色摺りの図版を作成する。
 ・帰英後,えり抜きの標本と,幼虫等の図版すべてをムーアに預ける。
 
(2)ウォルター・エリオット卿(Sir Walter Elliot)
 →Walter Elliot (naturalist) - Wikipedia 1803-1887。インド高等文官。北サルカール長官,マドラス参事会会員。
 ・主にマドラス(現チェンマイ)における1849〜1857年の,標本,記録,幼虫と蛹等の図版。
 
(3)S.ネヴィル・ウォード(Samuel Neville Ward)
 →British Museum - Term details 1813-1897。インド高等文官。コーヤンブットゥール(Koyambatur,現Coimbatore)判事。
 ・マラバール海岸(Malabar Coast)で1863年より以前に採集された標本,1870年の幼虫・蛹等の図版多数,観察記録の写し。
 

頻出することになるベンガル地方というのは,ガンジス川下流のデルタ地帯
  ※間違い。19世紀における「ベンガル」はベンガル下流から始まって北インドを帯状に走る相当に広い地帯。
1:カルカッタコルカタ
2:アリプール
3:マドラスチェンマイ
4:コーヤンブットゥール(コインバートルとも)
5:マラバール海岸
 
 やらなければよかった関係者リスト。難物。まだまだまだ続きますので。
 
 明日から札幌で「倫理」の研修会。4日に帰遠して3日間の夏休み。その間に上記の資料が届いているはずなので読み込み。更新はそれからになりそう。
 
 (この項続く)
 
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*1:なによりもポストの日本語訳が分からない。