手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その10)

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(承前)
7.T.ハットン大尉(Capt. Thomas Hatton)
 →1806〜1875。『ほ乳類の名祖事典(The Eponym Dictionary of Mammals)」,p.202,によれば,第一次アフガン戦争(1839)に歩兵隊将校として従軍。後に退役してムスーリーに住む。ナチュラリストとして,養蚕やアフリカマイマイ導入(失敗。失敗して良かったと思う)など幅広く関心を持ち,ヤママユガ(Noris huttoni Moore)やコウモリ(Murina huttoni Peters)に名前を残している。
 ○1861〜1871年,ムスーリーおよび近郊からチョウと蛾。
 ※上記ヤママユガの画像。ワードル(Thomas Wardle)『サウス・ケンジントン博物館のインドコレクションにおける,インドの野蚕類の図解便覧(Handbook of the collection illustrative of the wild silks of India, in the Indian section of the South Kensington Museum)』,1881,から。

http://www.biodiversitylibrary.org/item/81000#page/139/mode/1up
  
8.J.リンド・シューエル少佐(Major James Lind Sherwill)
 →The Carl H. Pforzheimer Libary Shelly and His Circle, p.639によれば,『ディナゲポル地区の地理と統計報告 A Geographical and Statistical Report the Dinagepore District』(1863)の著者。
 ○1863年,北東地区で収集された沢山の標本。
 
9.H.L.ド・ラ・ショーメット大尉(Capt. H. L. Chaumette)
 →不詳。『植物学者(The Phytologist: a popular botanical miscellany』誌に寄稿が見られる(例えば,第4巻,p.71,1851)。これはムーアのコレクションに彼からの標本(〜1863)が加わるより10年以前の日付であって,内容はインドとは無関係である。可能性として,ショーメットはもともとは植物に造詣が深い人物で,昆虫の研究はインドに渡ってからかもしれない。
 ○1863年前に,ラクナウ(Lucknow)地区で彼が観察・飼育した様々なチョウや蛾の変態に関するノートと記述。
 
10.C.ホーン(Charls Horne)
 →マインプリ(Mainpuri)地区判事。検索すると「古代仏教遺跡の報告」と「ロンドン動物学会紀要(Transactions of the Zoological Society of London)」第7巻,1870,への寄稿である「インド北西地方からの,数種の膜翅目昆虫の習性に関するノート(Notes on the habits of some hymenopterous insects from the north-west provinces of India)という文章が出てくる。鱗翅屋ということではないようである。彼に献じられた鱗翅はない。
 ○1869年,マインプリから多くの標本。
 ※上記の「膜翅目昆虫」はミツバチばかりではなく,ハキリバチやトックリバチまで取り上げている。図版はオオミツバチ(Apis dorsata)とその巣に寄生するハチノスツヅリガ(Galleria mellolella)。

http://www.biodiversitylibrary.org/item/117533#page/47/mode/1up
(解像度がひどく落ちている。クリックしてオリジナルサイズでご覧ください)
 ハチノスツヅリガについてはようつべに動画が沢山落ちている。例えば,

 
 えーと,地図は次回で。ラクナウもマインプリも,インド北部のニューデリー界隈である。
 
(この項まだまだ続く)