手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア。(その9)
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『Lepidoptera Indica』の序文の,協力者リストの続き。
4。 W.S.アトキンソン(William Stephen Atkinson)
→William Stephen Atkinson - Wikipedia 1820-1876。ラ・マルティニエール・カルカッタ校長。アジア学会会長。昆虫学学会会員。ベンガル公教育総裁。新インド博物館理事。
・1859〜75年の帰英まで,たびたびの標本。主にカルカッタ(*1)地区およびダージリン(*2)での収集が1875年にムーアに託され,産地を明記した命名済みの種のリストが作成された。その後,未記載だった蛾がベンガルアジア学会の記念誌に載る。
※せっかくだから,ムーアによって彼に献じられたチョウ。「ロンドン動物学会紀要 1878 (3) (Proceedings of the Zoological Society of London)」から。『L.I.』ではないのが残念。
Isoteinon atkinsoni(現 Arnetta属)。セセリチョウだね。
http://archive.org/stream/proceedingsofgen782zool#page/n284/mode/1up
5。 A.E.ラッセル(A. E. Russell)
→不詳。「ロンドン動物学会紀要(Proceedings of the Zoological Society of London)」に,ベンガルの高等文官とある。
・下ベンガルとダージリンの各地の標本。
※ラッセルのコレクションからムーアが命名したチョウ。「ロンドン動物
学会紀要 1865 (3)」から。
Debis visprava(現 Lethe属)。ヒカゲチョウの類。
http://archive.org/stream/proceedingsofgen65zool#page/n861/mode/1up
6。 A. M. ラング大佐(Colonel A. M. Lang)
→あれこれ検索をかけるとヒマラヤ界隈のチョウの採集の権威らしいのが見えてくる。それ以上は分からない。
・1864〜68年,アワド(*3),カシミール(*4),シムラ(*5)および北西地区から主にチョウの標本と観察記録。
※同じくラングの標本からムーアが命名したチョウ。
Pieris kalora(現在は亜種に落ちて Pontia calidice kalora)。
http://archive.org/stream/proceedingsofgen65zool#page/n572/mode/1up
ラングによるノート。
この昆虫を,わたしは二回しか見たことがない。一回は「フンルン(Hungrung)」峠(高度15000フィート)(*6)で,1頭だけだが,チベットハリエニシダ(Carayana versicolor)の低木を超えて峠を素早く飛んでいた。次の「ルナン(Runang)」峠,高度14800フィートのところで,沢山のこのチョウがちょうど峠頂上の裸岩だらけの斜面を素早く上下に飛んでいた。この昆虫に再び出会ったのはスピッチ(Spiti)谷(*7)へ向かうタリ(Tari)峠,15000フィートの,氷河と雪田の上である。空気の薄さが昆虫の追跡を妨げ,数頭の素早く飛ぶ白いチョウを見たが,捕らえることはできなかった。
http://www.biodiversitylibrary.org/item/90412#page/577/mode/1up
おおよその場所。
(1)カルカッタ(コルカタ) (2)ダージリン
(3)アワド (4)カシミール地方
(5)シムラ (6)フンルン峠(スンナム Sungnam 谷)
(7)スピッチ谷
ほとんど山じゃん。
(この項さらに続く)