手元の資料で調べよう。フレデリック・ムーア(その1)。

 どうせなら人と違っていた方がおもしろい。
 蛾像ブログも10年前から見ればずいぶんと市民権を得てきたようだ。もっと周辺的な領野に後ずさる頃合いかもしれない。
 すでにリンネ分類やら学名やらに手を出していて十分にマイナーなのだが,ますます猟奇的な(=物好きな)分野に入っていこうと思っている。人々のご期待を乞うことはとってもできないが仕方ない。みんな〜,置いてくから。
 
 というわけで,しばらくは新企画。4人ぐらいまでは引っ張りたい。
 
 学名を調べていると,「Moore」(ムーア,と読むらしい)という命名者がやたらと出てくる。のみならず,その命名はたいていは解釈不能である。
 サイト「みんな蛾」の「記載者」で検索をかけると,日本産の蛾でMooreの命名がキマダラコウモリからコキマエヤガまで69種ある。カッコ付きでないのが22。ということは47種で属を外したということである。おもしろい。シノニム探しをやればもっと賑やかになるに違いない。
 このムーアについて,日本語で読めるものはほとんどない。数少ない言及書である,平嶋義宏『新版 蝶の学名』では次のように触れられる。(p.45,強調引用者)

 ところが,蝶の属名には難解なものがあるのも実情である。例えば蝶の大家のヒューブナー(J. Hübner,1761-1826)とかムーア(F. Moore,1830-1907)などが創作した Hebomoia(ツマベニチョウ),Nacaduba(アマミウラナミシジミ),Zizera(シジミチョウ)などをはじめ,命名の意図をはかり難いものも多い。このような属名の中にはアナグラムとか,あるいは任意の造語なども含まれていると思われる。特に東洋の蝶を研究したムーアの創作した属名には難解なものが多い。意味ありげで意味のない任意の造語にかけてはムーアは天才的な創作者であるように思われる。

 褒めている,のだろうね。でもどういう研究者なのかは全然分からない。
 困った時はテキトーにグーグルである。(「CiNii」に1件あるが権利がなくて読めない)。英語のWikiがしばらくして見つかる。
 それからそれから。「Biodiversity Heritage Library」や「Internet archive」の著作ページ以外は全然全然出てこない。ムーアは世界的に関心を持たれていないことがよく分かった。
 Wikiの他に参考になりそうなのは,結局Wikiや『A Dictionary of Entomology』からたどった「死亡記事」だけだった。分類学者には,彼のなした分類の他には,死亡記事しか残らないものらしい。
 次の3つを参考にしてブログを書く。

  • WikipediaFrederic Moore
    • [Wiki.]。おおまかな経歴と著作リスト。評価的な部分はほとんど分からない。
  • Anonymous,Obituary,The Entomologist's monthly magazine,1907,vol.43,p.162-163。
    • [Ent.]ほとんど内輪向けの記事。当たり障りのない内容。
  • Fruhstorfer,Obituary,Entomologisches Wochenblatt,1907,jahrg.24,p.151-152。
    • [Ent.Wbl.]フルストルファー(1866-1922)はドイツの,熱帯蝶の採集家。ムーアと親交があった。この死亡記事がおそらくムーアについて最もまとまった記述。

 
 経歴。

  • 1830:出生。誕生地は不明である。
    • 彼については家柄が全く話題に上がらない。Walkerなら記事の何割かは親兄弟の話になるだろうに。
  • 1848:インド博物館(東インド会社の持っていた博物館)に助手として雇われる。当時館長だったホースフィールド(Thomas Horsfield,1773-1859。アメリカ出身。主にインドネシアで調査を行ったナチュラリスト)は彼の画才を評価したという[Wiki.]。
    • もちろん東インド会社は単なる貿易会社ではなく,インドの植民地支配の機関でもあった。
  • 1854:『A Catalogue of the Birds in the Museum of the Hon. East-India Company東インド会社殿の博物館の鳥類目録)』(おそらく)2巻本をホースフィールドと共著で出版。
    • ムーアのデビューは鳥らしい。タイトルページの肩書きは「assistant」。
    • この本には図版がないか,別冊になっていたかどちらか。ネットでは分からなかった。
    • ホースフィールドによる序文に「記述されている鳥の産地と生態についての説明のまとめと,動物学の色々な本でばらばらな数多のシノニムのチェックは,博物館助手である F. ムーア氏の偉大なる配慮と尽力のたまものであって,また,この目録の準備と印刷が迅速に進んだも彼の働きによる」(p.vi)。めまいがするような地下作業をやっていた模様。
  • 1857〜1859:『A catalogue of the lepidopterous insects in the museum of the Hon. East-India company東インド会社殿の博物館の鱗翅昆虫目録)』2巻本をホースフィールドと共著で出版。
    • タイトルでの肩書きは「assitant」とある。
    • ホースフィールドによる序文に「最後に,この目録の記述の部分は,会社の博物館助手の F. ムーア氏によって書かれたことを述べておかねばならない」(p.v)。
    • 図版。これはムーアの手によるものではなく,J. O. Westwoodによるもの。この人は当時結構有名な画家。

  
 
(この項続く)