『Theatrum Insectorum』の「蝶蛾」を読む。(1)前置き。
さて,うん,これからまた長丁場。
しばらくは前置きが続くよ。人生の3分の2は前置きや準備だけに費やされ,そのほとんどが実りのないものに終わることがこの年になってつくづく分かったのはさておき。
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ええとね,自然科学は「自然に関わる正しい知識」を探求するものだから,どうしてもより新しい,より正しい知識が対象になる。過去の錯誤は捨てられる。天動説に基づいた学説は,現代の天文学では不要だろう。使えないし,そもそも間違っているから。
ところが「科学史」というジャンルがある。それで,こちらは「過去の人々の(現代から見て)誤っている学説」が領野に入ってくる。
現代の素晴らしさを称揚しよう(昔の人は馬鹿だったよね)というものではもちろんなく,「かつて人間が自然の事象(あるいは自然そのもの)をどのように捉えていたか」をターゲットにする。
だから科学史は思想史や哲学に重なってくる。それは「自然を探求すること」ではなく,「驚異に見開かれた眼のもとに,何が語られたか」を追いかけ,それを新たな言葉をかぶせていく営為といえる。
素朴実在論者では全然ないわたしには,そちらの方が本来のフィールドのように思う。
蛾の写真のブログをせっせと書いていた時も,図鑑の記述や学名のことが頭の中にあった。
主観から切り離された実体としての蛾には,自分で思っているほどには関心がないのかもしれない。何百年も前の文献の中にに蛾を探すこと。わたしは収まるべき場所に収まったのかもしれない。
(それでも,わたしは一般人に比べれば相対的に「蛾屋」のつもりではある。そういう蛾屋がいたっていいじゃん)。
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というわけで,Moffet*1の『Theatrum Insectorum』を読んでいきたいと思います。
表紙。
(拡大)
http://www.biodiversitylibrary.org/item/123182#page/11/mode/1up
全部なんてムリだから「De Papilionibus」(蝶蛾について)と,関連する「Eruca」(イモムシ)を扱った章に限定。ラテン語なので,これだけでも命がけです。
ところでモフェットについて,本ブログではhttp://d.hatena.ne.jp/yyzz2/20150901で触れたことがある。昆虫学の歴史上では(Mooreよりも)大物なのだが,おそらくほとんど知られていないと思う。重要人物なので英語の論文は結構ある。でも日本語で読めるまとまったものはない。困ったものなのだが,彼は「先駆者」の位地以上を占めていないので仕方ないのかもしれない。
時は16世紀後半。場所はイギリス。ルネサンスの終わり頃。日本では信長や秀吉や家康である。
でも,その前に。モフェット以前の昆虫学について復習しておこう。次回はアリストテレスと大プリニウスから。特にアリストテレスを経過しておかないと,近世の虫屋が何に困っていたのか分からないはずなので。
(この項続く)