番外編。中世におけるワニチドリ伝説の発展について(3)。

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 相変わらず,ワニの歯を掃除するチドリの話の変遷史が続く。
 本質的に行き当たりばったりでブログを書いているので,復習しながらじゃないと自分も分からなくなる。

  • 前5C:ヘロドトス
    • これがおそらく記載としてはプロト。ワニの習性とトロキロス(ワニチドリ)について。ワニが口をあけていると鳥がやってきて,ワニの口の中の蛭を食べるという話。
  • 前4C:アリストテレス
    • 抑制された記述。ワニが口をあけているとトロキロスが来て歯の掃除をするという話。

 ここまでは,とりあえず真っ当な記述と言えそうである。ローマ帝国時代の大プリニウスになると話がインフレする。エジプトも帝国の一部となって,そこからの情報量が増えたのだろう。

  • 1世紀:大プリニウス
    • トロキロスはワニに口をあけさせて,食べ残しを食物とする。ワニはその心地よさに口をあけたまま寝てしまう。するとイクネウモン(マングース)がワニの口に入り込み,内蔵を食べてしまう。

 イクネウモン云々は,アリストテレス『動物誌』の直前の段落の記載が混入してしまったもの。
 これ以後,大プリニウスは権威として基本テクストとなる。

  • 3世紀:ソリヌス

 
 と,ここまで来た。
 思想史の世界では,しばしば古代と中世の分水嶺は6世紀のボエティウスに置かれる。
 というわけで,中世。
 中世ヨーロッパはやっぱり,少なくとも自然科学の著作においては「暗黒時代」であって,ワニチドリについてもめぼしいものがないようだ。Raven は「イシドルスはこれに類する話を述べていない」という(前掲書,p.19)。イシドルス(Isidorus)は7世紀の神学者で,中世における百科全書の嚆矢たる『語源(Etymologiae)』の著者。イシドルスが論じていないのなら,独自研究のない時代の後続者はかなりきびしい。
 
 時代は一気に12世紀末まで飛ぶ。いわゆる「中世12世紀ルネサンス」の頃。中世の自然学の大物ロジャー=ベーコンの活躍より半世紀早い。
 ネッカム(Alexander Neckam)はイギリスの神学者。科学技術史では羅針盤についてヨーロッパで初めて記述した人物として知られる。
 彼の自然学上著作『諸物の本性について(De naturis rerum)』も,中世の百科事典の1つ。これはネットにアーカイブがある(https://archive.org/details/alexandrineckam00neckgoog)。
 さて,このネッカムの第57章にワニチドリ伝承が現れる。

   ストロフィロスについて。 ソリヌス。

 ストロフィロス(Strofilos)はごく小さな鳥であって,餌を求める時には,ワニの口を少しずつくすぐり,用心深く心地よいくすぐり方で,次にはのどへと近づいて行き,はらわたを損ない生きたままむさぼって出てくる。このように,へつらい,甘言,甘い毒が,多くの者を誘惑する。

https://archive.org/stream/alexandrineckam00neckgoog#page/n195/mode/1up

 マングースの話が消えているのは,おそらくアリストテレスのテクスト批評が行われているのだと思う。
 それはいいのだが,今度はワニチドリがワニの内臓を食べることになってしまった。イソップのような「説話」性を持たせるために,どうしてもワニは損なわれなければならないらしい。自然界に人間的な教訓を見いださせざるを得ないあたりが,中世の自然学の神髄なのである。
 
 次(ラスト)は Bartholomeu Anglicus。13世紀である。
 
(つづく)