yyzz2の夏研修日記篇(後半。8/4〜8/8)。

8月4日(木) 遠軽

 出勤。茫然と職場で1日を浪費する。休み中に教員を職場に拘束しても,税金の無駄でしかない。家で好きにさせた方がよっぽど勉強する。
 

8月5日(金) 旭川へ。

 いやまあ,悲しいことに出勤。暑い。ましてや進学講習。
 生徒6人。志望校に合格すればいいのだけれどねえ。でも人生の幸せと志望校とは結局無関係かもしれない。そんなことを思いながら講習をしている。
 内容は日本仏教の昔のところ。放置しておくとどんどんわたしはハイレベルになっていくので,アクセルを必死に踏む。日本仏教はそれほどまでに特殊なのである。この程度まで喋っておけば受験的にはOKだろう。。
 
 その合間に教育局のサイトの「ストレスチェック」入力。結果は校長も見るそうである。わたしはもう十二分に壊れているから大丈夫。
 
 というわけで,講習は午前中で終わらせて,午後から休暇に入る。いまいましい免許更新講習の旭川移動のためである。
 例によって妻に送らせる。わたしが運転すると危険である。
 旭川はとにかく遠い。西の方角だけあって,極楽浄土と同じくらい遠い。阿弥陀様は何もしてくれないので自分たちで行くしかない。
 なんとか旭川のホテルに着く。
 3泊4日素泊まりで3万を超えるというとてもすばらしい並のホテルである。次に同じようなことがあったら,絶対に「健康ランド」に泊まる。もう決めたったら決めた。
 妻はポケモンGOな人で,ホテルの喫茶店ポケモンを数頭捕らえる。
 妻を帰すと,後はホテルの部屋でアルコールしながらTVをボーゼンと眺める。BSのチャンネルが極端に節約されていて極端につまらなく,ニュースを見られない。
 有料放送は裸がぶつかり合ったりねじ込み合ったりくわえ込んだりしている。あまり楽しそうではないし,生っぽい肉体があまり好きではない。蛾だって結局学名の方に行ってしまったし。
 仕方ないのでチャンネルを変えまくって「北斗の拳」の劇場版を見る。これもつまらないのだがアダルトビデオよりは見ていられる。よくもまあ,あの不透明でノイズィな原作をこんなにホメオパシー並に希釈できるものである。
 

8月6日(土) 講習後半戦。3日目@旭川教育大。「発達障害の理解と支援」。

 朝っぱらからバスに乗ってバスから降りる。さて目的地がどこだか分からない。人に尋ねると相手も同業者で「わからない」とのこと。この大学は要するに「わからない」。
 やっとのことで敷地内に侵入するとそこは業務用裏口であって,正門への道は閉ざされているらしい。「狭き門から入れ」と言ったイエスはやっぱりどこかが間違っている。一旦敷地から出て,ぐるーっと迂回して入り口が分かる。 迷っているのはわたしばかりらしい。遅刻はしないですんだ。
 今日の講習は「発達障害」。中堅高校ばかり回ってきたわたしのほとんど知らない分野。今回の免許更新のシリーズで最難関になるだろう。
 きっと受講者は,支援学級や特養経験者ばかりのような気がする(当たっていた)。
 難しい。そもそも自分自身に社会性やコミュニケーション能力が乏しい。差別意識もない代わりに,配慮もなさそうである。
 こういう講義には大抵ワークがあって,自己分析をやって隣と見せ合おうとかなるのだが,わたしの隣の男はこの暑いのにネクタイスーツの中年男であって,なにか一生懸命書いているのだがいっこうにわたしに見せる気配がない。彼からシートを無理に奪ってまで見せ合う気はないので,講師の教育的意図はこうやって裏切られていく。
 発達障害について,いわゆる「支援」なしだと社会的にすくい上げることが困難なのは分かっているが,それでも「人の精神に入り込んだり,方向付けたりする」世界はわたしには苦痛である。
 テストの出来も悪かったように思う。
 
 旭川は夏祭りらしく,帰りのバスに鳥の仮面をつけた子供が沢山乗っていたり,交通規制の関係で知らないところで下車させられたり,結構な時間まで太鼓の声が聞こえていたりしてた。
 なるほど太鼓というのは神事を思わせる響きをしている。古代の神々が降臨して人々を食い殺すのを見るのは少し嫌なので,アルコールと安定剤の力でさっさと寝てしまう。
 

8月7日(日) 講習4日目。「日本仏教史を学びなおす」。

 この講義は定員割れ。仏教に関心があったりするは日本では仏教関係者とわたしだけである。
 今日も暑い。現れた講師は手首に数珠を巻いている。
 いわゆる顕密体制論。蓮如関係以外は新しい知識は得られなかった(蓮如は重要だし,わたしは勉強不足なのだけれども)。
 この講義にも討論が組み込まれていて(今はそういう授業が文科省推奨ということで,大学にも圧力がかかっているのかもしれない。つまらないなあ),わたしの組み込まれたグループは「特別学級2人」「小学校教諭」「中学教師」「高校のわたし」という場末感あふれるもの。もっぱらわたしが喋って中学教員がまとめてという流れになる。
 他の人たちは資料で配られた古文が難しいらしかった。
 関心があるとか余計に知識があるとかはテストとは無関係。何を書いたか覚えていない。
 
 あと1日。ホテルでアルコール。どんどん健康状態が悪化していく。だってTVがつまらない。本はカバンが一杯で入らない。TVは無料のイージーリスニング
 

8月8日(月) 講習5日目。「戦争:証言・記録/記憶」

 いきなり「大震災の証言記録」のNHK番組のVTR。NHKは未だに東日本大震災の証言記録を継続してアーカイブ化(「東日本大震災アーカイブス 〜証言webドキュメント〜」)しているとのこと。
 これだけでも見ていて相当しんどいのだが,次に例の「ペリュリュー島のNスペ」。今日はこういう主旨の,ビデオを見る講義らしかった。その後も「沖縄戦」→「東京大空襲」→「アイヒマン裁判」→「強制連行」→「戦争孤児」→「北海道への空襲・攻撃」と濃いのが続き,合間合間に戦争に関わる証言・記録の資料が小出しに配布される。これだけ強烈にやられると誰でも反戦の闘士になりかねない。
 講師の意図は教育者としてこのくらいは最低限知っていて欲しいということ
。テストはまとめ資料からの穴埋めだけで5回のうち最も簡単だった。確かにペーパーで評価すべき事柄ではなかろうが。
 「日本を普通の国に」としばしば言われるが,「普通」ってあまり善いことではなさそう。イエスもゴータマも一つも普通ではなかった(端的には破滅思想である)。思想をどんどん普通にしていったのは,後を継いでいった者たちの責である。大衆は善きにつけ悪しきにつけ,その時々の「普通」を指向する。
 
 ということで暑い中,コストに見合うだけのものを得たとはどうも言い難い教員免許更新講習が完了。試験の結果が分かるのは9月半ばだという。
 60点ぐらいなら取れているだろう。教員は続けていけそう。たいして嬉しくはない。食えるというだけ。
 
 大学のそばのパワーセンターで妻と待ち合わせ。遠軽までは遠い。途中,ファミレスで夕食。旭川の町中を過ぎると遠軽までポケストップは全く存在しない。
 帰遠は20時すぎ。今年の夏は散々だったといえそう。2日休暇を取って,また進学講習。わたしになんて教わって本当に大学に合格するんだろうか。