『Theatrum Insectorum』の「蝶蛾」を読む。(2)アリストテレスの昆虫論。

(1)
 
 昆虫学は古代ギリシア最大の哲学者,アリストテレスをもって嚆矢とする。
 アリストテレス以前の人間は,虫になどミツバチとカイコを除いて関心を持たなかった。まあ当然だね。アリストテレスは森羅万象を研究した人物であって,生命だの発生だのの研究の一環として「虫」についての観察・考察を歴史上始めて行っている。虫を「entomon」(節のあるもの。有節動物と訳されている)と名付けて分類するのは彼による。
 このアリストテレスのご威光たるや中世ヨーロッパではすさまじいもので,デカルトやらベーコンが闘ったのはアリストテレスの権威に対してといっていい。残念ながら,同時代のモフェットは(おかしいとは感じつつも)まだその影響の圏内から抜け出せていない。
 その現れが,著作において「蝶蛾」と「芋虫」とを分けて全く別の章に配置していること。以前「番外編。ルネサンス期における芋虫毛虫の分類について。」に書いたようにルネサンス期ではまだ,連中は同一種の「成虫」「幼虫」ではなく,存在様式を異とする存在なのである。これはアリストテレスの昆虫論から出てきた帰結。
 
 さて,アリストテレスは『動物発生論』においてこんなことを主張する。引用ばかりになるが,『動物発生論』は文庫になってないからいいよね。テキストは原文読みではつらすぎるので,島崎三郎訳,『アリストテレス全集9 動物運動論・動物進行論・動物発生論』,岩波書店,1969,を用いている。
 
 まず,有血動物と無血動物を区別する。有血動物のあるものは親と似たものを生むか,「卵」を産み出す。無血動物は(水を吸わなければならない)不完全な卵を産むか,さらに不完全な「蛆」を産む。そして,([  ]内は訳者註)

(…)すなわち,「卵」と「蛆」は次の点が違うのである。すなわち,「卵」とは「その一部分が生まれる子となるようなもの」で,残りの部分は生まれる子の栄養となるが,「蛆」とは「その全体が生まれる子の全体になるようなもの」である。(p.148)

 要するに,卵は「胚」の部分が生長する。確かにニワトリでも魚でもいかにもそんな感じになる。「蛆」は全体が変化する。

(…)無血動物のうち,有節類[虫類]は蛆生するが,この点は交接の結果生ずるものに置いても,[自然発生して]自ら交接するものにおいても同様である。(p.149)

 虫は「卵」を産まない。「蛆」を産む。するとこうなる。驚くべきことに。

 有節類は親が子を産むものなら,[交尾して]蛆を産み,[親の]交尾によらず,自発的に生ずるものも,まずこうした形成物[蛆]から生ずる。というのは,アオムシもクモの子も蛆の一種と見なさねばならぬからである。これらの中の或るものやその他の多くは形が丸い[球形]のために卵に似ていると思われるかもしれない。しかし(…)体の一部分から幼動物ができるのではないという点を根拠として論じなければならないのである。(p.226

 こういうこと。モンシロチョウがキャベツの所にやってきて卵を産む。でも実は,生み付けられているのは「卵」っぽく見えるが違う。蝶は「蛆」を産み付けているのである。ならば蝶の「卵」はどこへ行った?

(…)すべての蛆状のものは,時期が進んで完全な大きさに達すると,卵のようになる[蛹]。すなわち,体を包んでいる外皮は硬くなり,この時期には身動きしないからである。これはミツバチやキバチの蛆とか,[チョウの]アオムシを見るとよく分かる。その理由は,彼らの本性が不完全であるために,いわば[生まれるべき]時期よりも前に卵生するようなもので,[したがって]まだ生長中の蛆はあたかも軟らかい卵のようなものなのである。(p.226)

 蛹=卵である。つまり何かというと,虫だけが「卵→幼虫→蛹→成体」というプロセスをたどるとすれば,「蛹」の所が他の動物の発生との秩序の整合性が取れないということらしい。
 進化論以前の自然観では,世界は「完全なもの−不完全なもの」の直線的な階梯を形成するとされていた。「動物」という枠の中で共通性を持たせながら階層化しようとするのがアリストテレスの工夫。今のように枝分かれしてめいめい好き勝手に進化するのではないのである。
 自然発生するタイプの虫でも,始めに蛆が発生して,それが「卵」になって虫ができる。自然発生タイプの虫でも交尾すれば蛆を産むが,この蛆は卵には分化しない。さもなければ,自然発生する必然性がないからである。
 完全変態する昆虫はそれでいいとして,クモや不完全変態ものはどうなるのか。アリストテレスの記述はあまり明確ではない。
 まずクモについて。今度は『動物誌』。文庫になっているので手に入りやすい。島崎三郎訳,『動物誌(上)』,第5巻第27章,岩波文庫,1998。

 クモはみな先に述べたような仕方で交尾し,まず,小さい小蛆を産む。なぜなら,小蛆は初めから丸いものである以上,その全体が変化してクモになるので,一部分がなるのではないからである。産むと,その上にのって返し,子は三日間で形が分化する。(p.254)

 短期間での「蛹=卵」の段階が想定されているように読み取れないこともないが。不明確である。
 次はバッタ。同じく28章。

 産み終わると,そこには卵状の蛆[蛹]があり,これは膜のように薄い一種の土で包まれていて,この中で成熟するのである。中の胚子は,非常に軟らかいので,さわるとつぶれてしまう。(p.255)

 [蛹]は訳者註であるが,「蛆」のままで構わないかもしれない。つまりバッタは蛆を産んで,その蛆がじきに蛹=卵になると考えて不整合はとりあえずない。でもはっきりしない。
 セミについては引用は割愛するが,産み付けられたもの(蛆?)が地面に落ち,蛆が地中で活動する。やがて「セミの母」(今なら終齢幼虫)になって地上に出ると述べられる。「セミの母」について「蛹」とも「卵」とも書いていないので何か危なっかしい。
 アリストテレスは不完全変態について十分に理論に組み込めていない可能性が高い,とわたしには思われる。
 
 すでに述べたように,アリストテレスのこの理論に,モフェットははっきりとは反論しない。当時の観察データが不十分であったのは上述のブログのとおり。それ以外にも,権威であるアリストテレスに敵対しない態度が政治的に必要だった可能性が高いのだが,そちらは裏の話であり,明確ではない。
 
この項続く