番外編。中世におけるワニチドリ伝説の発展について(1)。

 3泊4日の卓球高校生引率@網走がやっと終わった。1泊2食で4千8百円。食事がかなり良い。昼間は高校生のわあわあ言う声とピンポン音の中で,Raven『English Naturalists from Neckam to Ray』を居眠りしながら読み進める。

 Moffetレポートの予定ネタ本の1つである。この人の英語にはだいぶん慣れてきた。
 
 中世の自然研究は,「自然の観察と記述」ではなく,「自然に関わる過去の文献の引用と注釈群」の合わせ鏡のような世界だったりする。すると,その過程でどんどん伝承と想像の尾ヒレが付いて大変なことになる。徐々にその夾雑物がそぎ落とされて,観察に入れ替わっていくのがルネサンスの学問の過程。モフェットはルネサンスに位置づけられる。
 
 上掲書,pp.18〜19にその「尾ヒレ具合」の例が挙げられていたので紹介。
 
 ワニの口に入って歯の掃除をするとかいうナイルチドリの話。これは眉唾であると言われているようだ。ワニの背中に乗るくらいだから,この鳥がたまたまワニの口をつつくことがあってもおかしいとは思わないが。

 Ravenによれば,この話(伝説?)の元祖はおそらく前5世紀のヘロドトス『歴史』。この本は混沌としていて面白いのだけど余り読まれていないように思う。
 翻訳のあるものは使っていく。ヘロドトス,松平千秋訳,世界古典文学10 ヘロドトス,第2巻68節,p.91,筑摩書房,昭51。

[鰐は]水中に棲息するので,いつも口内には蛭が充満している。ところでほかの鳥や獣は鰐を恐れて近づかないが,鰐鳥(トロキロス)だけは,鰐の役に立つので鰐と仲が良い。鰐が水から出て陸に上がり,口をあけると──鰐はほとんどいつも西風の方角に向かって口をあける習性がある──,鰐鳥はその口の中に入って蛭を食べてしまうのである。鰐は楽にして貰うので喜んでおり,鳥には何も害を加えない。

ワニと関わっている現地人なら,ワニの口にヒルなんか詰まっていないとを知っているだろう。鳥の話を聞いた人が逆算して「きっとヒルとか食べている」と推測したに違いない。権威者が書くと事実になる,というよりは,「事実というもの」のとらえ方が異なるのだろう。
 少なくともオクシデントの人々にとっては,ワニにもワニドリにも一生関わることはないだろうから別に困らない。
 
 前4世紀のアリストテレス『動物誌』がそれを引き継ぐ。アリストテレース,島崎三郎訳,動物誌(下),第9巻6章,pp.126〜127,岩波文庫,1992。

ワニが口を大きく開けると,チドリ〔ワニチドリ〕が口の中に飛び込んで歯をきれいにする。チドリは〔口の中で〕餌を取り,ワニはそのお蔭をこうむっていることを知っているので,チドリを害わず,チドリを外に出したいと思うと,頸を動かして警告し,かまないようにするのである。

さすがにアリストテレスは堅実である。
 それが1世紀の大プリニウス『博物誌』第8巻37章になると「物語は成長する」(Raven)。たびたび本ブログで言っているように『博物誌』の邦訳は信用ならないので,Perseus Digital Library の Bostock & Riley の英訳から重訳する。

魚で満腹になると,ワニは川岸で眠りにつくが,食物の一部がいつもその口の中に残っている。そこに小さな鳥が,エジプトではトロキルス(trochilus)として知られており,イタリアでは「鳥の王」とされている鳥が,食物を得るためにワニにあごを開くよう誘いかける。そして,回りを跳ねながら,始めはワニの口の外側を,次に歯を,それから口の中をきれいにする。その間,動物は鳥にくすぐられて感じる快楽によって,あごを目一杯広げている。こういう時,イクネウモン(ichneumon)〔マングース〕は,ワニが引き起こされた心地よい感覚によってぐっすり寝ているを見て,ワニののどに矢のように飛び降り,ワニの臓物を食べ尽くす。

 他のソースからの情報が入ってきて,話が詳しくなる。不正確だけど平気である。
 「鳥の王」とは普通はミソサザイだから,まあ似ていないこともない。ご愛嬌。
 マングースが突然出てきたのは,アリストテレス『動物誌』引用箇所の直前に記述されている「コブラと闘うマングース」が,ワニの話にも敷延してしまったものだろう。
 
 Raven によれば,大プリニウス以後は,3世紀のソリヌス(Gaius Julius Solinus。ラテン文法家。『世界の驚異について De mirabilibus mundi』あるいは『Polyhistor』)は「大プリニウスと同じ記述だが,鳥がひっかくことを強調している」と述べる。 調べてみるとネットに原テクストがあった。読まないわけにはいかないだろうな。
 
(というわけでラテン語読みです。間に合いませんでした。続く。でも今週こそ中間考査のためラテン語どころでなさそう。きっと更新しません)