蛾への献名について。シーベルスとブラニツキ。

 ルーミスシジミやヤンコウスキーキリガとかプライヤエグリシャチホコとか,外国人名が付いている和名がしばしばあって(当ブログの読者ならともかく)一般人には何だか分からなかったりするのだが,たいていは「献名になっている種小名」に由来している。すなわち,「Arhopala ganesa loomisi」,「Xanthocosmia jankowskii」,「Lophontosia pryeri」。無個性な標準和名よりは面白いかもしれない*1
 面白いのはそれ自体ではなによりなのだが,「献名学名」(わたしの造語)は「一体誰のことなのか」を調べようとすると大変な手間がしばしばかかる。縁あって学名調べをしているわたしにとって「献名もの」は難関の一つ。とにかく手がかりが乏しい。はっきり言って,昆虫学辞典に載るレベルに達しない人はお断りしたいほど。
 日本で「昆虫学史」をまとまって手がけているのは,私の知る範囲では,江崎悌三と小西正泰両氏ぐらいである。フロンティアを走る人々にとっては「史・誌」はエネルギーを注ぐに値しないものとされるらしい。かくして江崎昆虫学史も雑誌連載の中座を余儀なくされたとのこと。このことは,簡単に調べられる日本語文献がほとんどないということでもある。
 
 というわけで,原記載文を見てヒントを探して,人物をネット検索(ほとんど外国語のWiki),を繰り返している。
 今回はその報告。HPに書き足した分。
 

シーベルスシャチホコ Odontosia sieversii

 最後が「-ii」になっているのは,名前をラテン語尾化して「-ius」にして更に属格にした結果である。名前は「Sievers」。この人物は普通の『昆虫事典』なんかには出てこない。
 すでに『Etudes entomologiques』あたりは読んでいて,19世紀後半のサンクトペテルブルクのアマチュアだとは見当をつけていたのだが,今回「A Guide to Nabokov's Butterflies and Moths」というサイトに「Section 3 Scientists Related to Nabokov's Work on Lepidoptera」なるページを発見して,情報量が増えたのでここに報告する。シーベルスに関する本邦初紹介かもしれない。
 Johann Christoph Sievers は1805年ハンブルクの名家の出身。ドイツ系だが,活躍の舞台はロシアである。商人らしい。鱗翅目のアマチュア収集家であり,サンクトペテルブルク地区で採集した蛾のリストを,地元の昆虫学誌に増補しながら数回発表している。没年が1867だから,次の報告がおそらく最終稿だろう。
 J. C. Sievers, 1867, Verzeichniss der Schmetterlinge des St. Petersburger Gouvernements., Horae Societatis Entomologicae Rossicae 2: 133
 蝶97種,シャクガを除く大蛾類371種,シャクガ216種,小蛾類586種の計1270種があげられている。
 
 ※息子 Gustav Sievers も昆虫学で知られる。この人物の Wikipedia の項目(リンクはスラブ文字を出せないので,英語に翻訳したもの)に,著作として1862年の目録が載せられているが,これは父親のものとの混同であろう。
 Odontosia sieversii のおそらく最も古い画像。

 Motschlsky, 1859, Et. Ent 8: 144, pl. 2, f. 1 (Notodonta sieversii)。
 

クロテンシャチホコ Ellida branickii

 相変わらずわたしには属名の「Ellida」は分からない。鱗翅にはよくある名前なので分からないのはおかしいのだが,でも分からない。
 種小名は何とか判明した。
 Lepindxでカード(これが誤記で,「 Et. Ent 」ではなく「 Ét. d'ent.」である)を見て,「branicki」の原記載( Obertür, 1881, Études d'entomologie 5: 60)をたどると,

(拙訳)
わたしはこの美しいシャチホコガを,技芸と自然科学に秀でたアマチュアである Constantin Branicki 伯爵に献じた。

 これはフランス綴りで,ポーランド綴りでは Konstanty Branicki。Wikiぐらいしか資料がない。Wikipediaポーランド語版google英訳版(こちらだと何とか意味が取れる。日本語訳は理解不能である)とをあげておく。
 それによれば,帝政ロシア下のポーランド貴族で財産家。自らオリエント巡りをしたり,探検旅行・科学研究のパトロンをしたりして,考古学的・博物学的蒐集を行っている。彼自身が最も力を入れたのは鳥類に関して。
 彼のコレクションは,現在ポーランド科学アカデミー動物学研究所に所蔵されている。
 ちなみにオーベルチュールは,3種の蛾をブラニツキに献じている。
 原記載からの図版。

ibid. pl. 6。(Urodonta branicki)
 
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*1:スコットカメムシの学名からシノニム化によって「scotti」が消えたのは痛恨事である。