9月8日。(1/5)。クスサン。
(9月22日記)中学生の頃から,吉岡実を手本に詩を書き始めていた。「僧侶」は今でも暗唱できる。
人に見せられそうなレベルになったのが25才ぐらい。すでに札幌市内の詩の同人サークルに所属していた。
寡作だった。年に1,2作。それでも書きためた作品を詩集にまとめることができた*1。同人の人たちの支援もあって,ぎりぎりでローカルな賞を得た。
それ以来,詩を書いていない。考えていたことは自分の中でだいたい片がついてしまった。詩は(向こう側の)思考の器でしかない。
囲碁もやっていた。最も打てていた時期でアマのインフレ5段ぐらいあったと思う。
40代はじめにネット碁を知って,2chを根城とするグループの大会の常連になった。大会の観戦記を2ch上に投稿していた。やめてしまうまで100本近くは投稿したはずである。
自分が打つよりも,書く方が楽しかった。だが,囲碁は結局勝敗から離れられない。勝つ者と負ける者に分かれていく。わたしは疲弊して,碁そのものを投げ出した。もう,接待碁以外は打つことはないと思う。
ほんとうに充実していたのは,詩を書いているとき,観戦記を書いているときだけだったような気がする。書くことにしか場所を持たない人間なのかもしれない。
読んだり書いたり,何かを考える以外のことは端的に苦しいし,つまらない。
今は蛾のことを書いている。関心が虫に切り替わっただけなのだろう。
人生の残り時間から見て,虫が最後になる。
採集や標本にはこれからも手を出さないだろう。モノとしての蛾や生物としての蛾に対する興味はおそらく高くない。ブログやHPで図鑑や文献や学名のことを書き並べているだけである。蛾に関するコトバ(記号)には関心がある。
たとえ蛾屋を自称したとしても,その最周縁部に位置するのだと思う。
というわけで,自分語りの多い虫ブログです。難儀なことだねえ。
というわけで,残暑厳しき9月8日。20時だというのに23℃もある。空気は雨の近さを感じさせた(実際,日付の変わる頃には降り出した)。
アルテン温泉看板
苫小牧でクスサンが多いと感じたことは今までない。年に1頭見るか見ないか。
今年は状況が異なるようだ。すでに中心街にやや近いコンビニの駐車場で2頭分の翅を確認している。
特別大きい蛾に関心が強いわけではないが,珍しいのでまずクスサンから撮る。
大きい。前翅長が52mmもある。右下に赤いピンが見えるのは,ホワイトバランス用のグレースケールである。
寄っておく。
触角は♀のそれ。
クスサンは「樟蚕」であって,ヤママユなのだが絹糸には用いられない。かつては幼虫の腹から絹糸腺を引っ張り出して「テグス」(=天蚕子)を作ったという。
サイト「鮎起源探方」内「鉤の語源・他」によれば,江戸中期に中国より輸入され京都で使われ始めるが高価な為、釣り糸の先の部分や針の根巻き糸として使われた。
江戸後期まで長いこと天蚕糸は何で出来ているか解らなかった様だ。
何羨録(1723年)にはテグスとは本朝食鑑の「瓜つるを曝して乾かしたもの」、大和本草の「虫で作り、外国から来たもの」、和漢三才図絵の「広東の水中でできるもの」などと記載されている。
天蚕糸が何から出来るのか解るのは文化年間(1804年〜1818年)頃の事である
江戸末期に日本でも作られる様になるが強度が弱く主に中国産が使われていた。とのこと。
やっぱり今年はクスサンが多い。この夜都合3頭飛来。